國分功一郎『スピノザー読む人の肖像』(岩波新書、2022年)。
この17世紀の哲学者についてどう捉えたらよいか。自分が以前に主著『エチカ』を読んだかぎりでは、完全性(実体)は神にのみありそれは唯一のものだ/様態などひとつのあらわれに過ぎない/人間精神もまた様態のように不完全でしかありえない/不完全性を知ることが精神向上への唯一の道である/それをしないこと(無知)はドレイへの道である、といった思想だと理解した。
本書は新書にしては厚めだけあってとても丁寧。
無限の完全性がある以上「なにか他の体系としての外部」はあり得ないし、それどころか、身体の外部についても、混乱した観念しか獲得できないということになる。つまり我々の意識とは「身体の変状の観念の観念」であり、我々はひとまずはそれを通じてしか世界と関与できない。ルイ・アルチュセールがスピノザを「ねつ造」して無数の出来事が偶然の出逢いや偶発時のように並行し雨のように降っていると想像したことも(市田良彦『ルイ・アルチュセール』)、ジル・ドゥルーズが世界について「たえずさまざまの個体や集団によって組み直され再構成されながら」形成されていると書いたことも(『スピノザ』)、ミシェル・フーコーがそこに無数のアーカイヴの可能性を見出したことも(『知の考古学』)、あらためて納得できる。おもしろいなあ。
それでは自由とはなにかと言えば、その意識のあり方がもたらす結果であるとする。こうなると確かに著者のいうように『エチカ』は実践の書。
石原吉郎『望郷と海』(1972年)を再読、この機会に野村喜和夫『証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち』(白水社、2015年)も読む。
シベリアに抑留された石原吉郎は、状況の苛烈さのためにことばの依拠する意義を失い、解放されてからことばを再発見せざるを得なかった。ことばを失ったのではなく、ことばを回復するために沈黙したのだった。また、その過程は証言ではなく詩的言語による表現であった。このことは野村さんが引用する石原吉郎のエッセイの一文にこわいほどに反映されている。
――― 詩は不用意に始まる。ある種の失敗のように。
ひとまずは回復に成功したのも、石原吉郎が単独者であり、かつ他者に開かれていたからでもあった。それでもかれはアルコールに依存し、精神を病み、緩慢な死を選んだ。そしてこの野村さんの思索は、極限をみた詩人だけでなく、詩を読む者の内奥も掘り下げている。
鶴見俊輔『柳宗悦』(平凡社ライブラリー、原著1976年)を読む。
はじめからなにか既成のカテゴリーとして民藝運動があったわけではない。かれが受容したブレイクもホイットマンも、セザンヌさえも、日本においてはまだ真っ当に評価される対象ではなかった。民藝も同様にラディカルな思想だった。柳が京都の朝市で買ったものは、売り手のおばあさんたちに言わせると「下手物」、すなわちごく当たり前に生活の中にあるもの。柳はそれを自分の実用生活の中に「蒐集」を通じて取り込み、運動とした。ごく普通にあるものや模倣に価値を見出すことは、鶴見によれば、ヨーロッパ近代文明へのアンチテーゼでもあった。
おもしろいのは白樺派の系譜にあるこまやかな文体や、「たやすくうちあけばなしをせず、根拠をはっきり示し、推論の途中をとばさずに順序をたててゆっくり説明する」ありようを、単にスタイルとしてではなく、軍国主義に同調するのをさまたげる思想として捉えていることだ。ただ、それでも文体だけでは軍国主義に抗するには十分の力となり得なかったと書くのは、やはり鶴見俊輔ならでは。
●参照
『民藝の100年』展@東京国立近代美術館
アイヌの美しき手仕事、アイヌモシリ
「日本民藝館80周年 沖縄の工芸展-柳宗悦と昭和10年代の沖縄」@沖縄県立博物館・美術館
短編調査団・沖縄の巻@neoneo坐
「まなざし」とアーヴィング・ペン『ダオメ』
高島鈴『布団の中から蜂起せよ』(人文書院、2022年)。
共感しつつも速読してしまうのはこちらが緊急事態ではないからだろうな。けれどもいくつか犬耳を折る箇所があった。
アボリジニの語りを通じて「正史」にのみ陥らないあり方を説いた名著、保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』を引きつつ、「視線の再魔術化」が可能ではないかとする問いかけ。なるほど、たしかにドゥルーズ=ガタリふうにいえば新しい「数列」を絶えず創出すること、権力の網から絶えず逃れようとすること。
「山口県から青森県までの徒歩経路を表示したマップ」を前にゴジラと化すのではなく、対象を定めてエネルギーを使わなければならないこと。
「私の時間は私のものだ。抵抗しなくては。できうる限り現実的に。」
先ごろ亡くなったソール・A・クリプキがヴィトゲンシュタインの思想を解釈した『ウィトゲンシュタインのパラドックス』(ちくま学芸文庫、原著1982年)。
最初は退屈だったのだけど、次第に核心に迫っていくテキストにはやはり惹き込まれる。たとえば、感覚を伴う言説を他人に拡張使用しようとする。「痛み」と言うことは簡単だが、「彼は痛みを持っている」という言説を共有することには絶望的なほどの困難がある(「痛みの振舞」へと至るとしても)。ヴィトゲンシュタインは、痛みにもだえる人に対する「私」の振舞も、その人の内的状態について「私」が説明しようとする如何なる試みも、拒絶する。
つまりヴィトゲンシュタインは言語の論理を追求していたと同時に倫理を説いていたということか。確かに「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という有名な一文も倫理的。ちょっと驚いた。
●ヴィトゲンシュタイン
古田徹也『言葉の魂の哲学』
ノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン』
合田正人『レヴィナスを読む』
柄谷行人『探究Ⅰ』
小森健太朗『グルジェフの残影』を読んで、デレク・ジャーマン『ヴィトゲンシュタイン』を思い出した
庄子大亮『アトランティス=ムーの系譜学』(講談社選書メチエ、2022年)を読む。
拙著『齋藤徹の芸術』において、妄想のワールド・ミュージックという観点で、かつてムー大陸の存在を主張したジェームズ・チャーチワード、それを信じた沖縄の音楽学者・山内盛彬のことを書いた。もちろん本書でもチャーチワードや山内について言及されている。山内はともかくとして、19世紀・英国生まれの元軍人チャーチワードは、鉄鋼技術者を辞めてから妄想の偽史についての著述活動を始めた人であり、作家や別分野の学者がトンデモ歴史論を展開する伝統はこのあたりから始まっていることがわかっておもしろい。
本書はムー、アトランティス、レムリアといった「失われた大陸」論がどのように日本で受容されてきたのかを検証している。それによれば、戦前の「皇国日本」の物語を強化しようとするあやういもの、地震や火山活動が激しい日本ゆえ太古の昔もそうだったに違いないとリアリティに結び付けるものなど、さまざまな言説の類型があった。そして新たな言説も次々に生み出され続けている。これはまさに著者のいう「事実と想像の絶えざる相互侵食」。
フルート奏者ニコール・ミッチェルが作品に取り入れていたこと、『キンドレッド』の文庫復刊、アフロフューチャリズムへの注目などを経て、ようやく日本でもオクテイヴィア・E・バトラー再評価の機運が高まりつつある。
最近邦訳された短編集『血を分けた子ども』(河出書房新社、原著1996、2005年)も感嘆しつつ読んだ。「異物」の感覚をSFとして昇華させた世界は、たしかにバトラーが黒人女性であったことと無縁ではありえない。
●参照
オクテイヴィア・E・バトラーのヴァンパイア
ニコール・ミッチェル『Maroon Cloud』
ニコール・ミッチェル『Mandorla Awakening II: Emerging Worlds』
「JazzTokyo」のNY特集(2017/7/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2017/5/1)
オクテイヴィア・バトラー『キンドレッド―きずなの招喚―』
大和田俊之『アメリカ音楽史』
『オフショア』という「アジアを読む文芸誌」がとてもいい。
dj sniffさんのインタビューも興味深いし、なんといっても宮里千里さんのエッセイ「BALI~八重山~奄美 アッチャーアッチャー」。沖縄や奄美の唄者たちがバリのガムランと共演したときのことを読むと、傑出した音楽家は全感覚を総動員して異文化との出会いを形にしていることが実感できる。かんたんに「コラボレーション」なんて言ってはいけないのだ。
宮里さんは久高島の祭祀イザイホーや奄美のストリートシンガー里国隆さんの音を録音した人で、いまは那覇の栄町市場で小さな古書店をやっている。2回足を運んだが不在で、娘さんの綾羽さんとはいいお話ができた(調べていることがあると言うと、沖縄民謡の生き字引ビセカツさんにつないでくれた)。綾羽さんの著書『本日の栄町市場と、旅する小書店』はいつ読んでもたのしい。また行きたいがなかなか行けない。
●参照
宮里綾羽『本日の栄町市場と、旅する小書店』
宮里千里『琉球弧の祭祀―久高島イザイホー』
里国隆のドキュメンタリー『黒声の記憶』
里国隆のドキュメンタリー『白い大道』
1985年の里国隆の映像
『1975年8月15日 熱狂の日比谷野音』
鶴見和子『南方熊楠』(講談社学術文庫、原著1978年)
南方熊楠と柳田國男との違いについて幾度となく言及しているのがおもしろい。南方は地方の定住者として地方を見、そこから中央を見た。柳田は中央の役人・学者として中央から地方を見た。それゆえに柳田の言説においては地方は安住の地を与えられず、逆に普遍に向けて拡散した。南方はただの博覧強記の人ではなく無数の断片を参照することで世界を見る人だった。
柳田は晩年に『海上の道』において琉球を日本の原型であるという願望論を展開するわけだけれど、なるほど、それも納得できるというものだ。そういえば、この物語的学説について、村井紀『南島イデオロギーの発生』では、日韓併合に関与した高級官僚としての柳田の傷心を糊塗するものだとし、佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造』ではそれを根拠なきものとしていた。どうなんでしょうね。
南方熊楠『十二支考』(岩波文庫、1914-23年)を読む。
2017年の国立科学博物館における南方熊楠展では「南方熊楠は、森羅万象を探求した『研究者』とされてきましたが、近年の研究では、むしろ広く資料を収集し、蓄積して提供しようとした『情報提供者』として評価されるようになってきました。」と書かれていて、たしかにアーカイヴの人だなと首肯した。ネット時代に生まれたらどうなっていただろう。この『十二支考』にしても、どこかに「締切がやばいなー、ただのコピペだと芸がないしなー」なんてことを書いていた記憶がある。実際そのような情報詰め込み型の本であり、おもしろい(ところもある)。意外に俗っぽく下品だったりもする。
たとえば蛇の呼称について。熊楠は本居宣長を引用し、小さくて普通のが久知奈波(くちなわ)、やや大きいのが幣毘(へび)、なお大きいのが宇波婆美(うわばみ)、極めて大きいのが蛇(じゃ)、俗に蛇というには遠呂智(おろち)。じゃあ大酒呑みを上回る大酒呑みは蛇(じゃ)か。ああ結局楳図かずお展を観に行かなかった。
蛇の眼といえば。「英語でイヴル・アイ、伊語でマロキオ、梵語でクドルシュチス」。経では邪眼、悪眼、見毒、眼毒など。熊楠はあれこれ悩んで邪視と定めている。ジョイス・キャロル・オーツの傑作小説『Evil Eye』は邦訳されて『邪眼』となったけれどどれがよかったか。
熊楠は神田錦町に下宿したことがあったようで、そのころ酒を飲んでは庭のイボガエルに石を投げて殺して遊んでいた(前職のオフィスがあったところは蛙がゲコゲコ鳴く場所でもあったのかと興味深い)。そのとき1匹殺すたびに次の蛙が出てきてまた殺し、4、5匹殺したとある。熊楠はそこから自分が殺されることもある話もあったと連想する。H・P・ラヴクラフトの怪奇小説みたいで気色が悪い。ラヴクラフトは熊楠の同時代人だが生前無名であったというし、熊楠はさすがにそこまで手を出していないだろう(読んだら書かずにはいられないだろうし)。
猿の章では、ヒンドゥー教の叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する猿神ハヌマーンについて。インドから魔王にさらわれてスリランカにいる妻を奪い返すため、ラーマはハヌマーンを派遣する。熊楠の興味は無事奪還した妻の貞節にあったようで、実にしょうもない。現代にいたらタブロイド判の新聞の下世話なコーナーとか熱心に読み漁っていたのでは。
鼠の章では、鼠を乗り物にするヒンドゥー教の神・ガネーシャの話に入り、かれの頭がなぜ象になったのかを熱心に説き、なかなか鼠自体の話に戻ってこない。なるほどこれではとっ散らかるのも仕方がない。
澁澤龍彦『高丘親王航海記』では、高丘親王は敢えて虎に食べられて天竺に行くのだけれど、澁澤は『十二支考』も読んでいたのかしら。熊楠は中東の話はリチャード・バートン版の『千夜一夜物語』を頻繁に引用しているし、バートン→熊楠→澁澤という博覧強記の人の流れを考えるとおもしろい。
東京国立近代美術館で開催中の『民藝の100年』展を観てきた。可愛い飴缶付きのチケットを選んだりして(こういうものが好きなのです)。
民藝とは、なにも立派な職人や芸術家の作品でなくても、実生活で使われているものに美を見出す運動だ、くらいに認識していた。いやもちろんそれは間違いではないのだけれど、今回の展示には実に多くの発見があって愉快だった。
運動が運動たるためには、他の地域や時代のものと比較するための条件が必要だった。それがたとえば他言語の習得や他国文化への接近であり(高等教育)、鉄道という移動手段であり(「裏日本」などを探索する)、視線の恣意的な変更であり(ミクロに視たり、切り出したり、置きなおしてみたり)、出版や美術展の開催であった(アーカイヴや視線の共有)。つまりインフラや文化の底上げがあってこその民藝運動、それは近代ゆえ成立するものに他ならなかった。それにしても、「郷土」という観念さえも近代の発明だと言われると驚いてしまう。
柳宗悦らは世界かぶれであり、日本語と英語をちゃんぽんで喋りながら鼈甲眼鏡に作務衣、まあ奇妙な集団が歩いていたとのこと。たしかにそのポテンシャルがあってこそ、長野の容器から北欧を思い出したり、沖縄の壺屋に朝鮮の村々を思い出すなど、新たな視線の獲得が可能だったのだろう。それに、河井寛次郎らは東京工大(現)の窯業科出身であり、近代の産業技術も運動には必要だったということになる。
そういえば2016年に沖縄県立博物館・美術館で観た『日本民藝館80周年 沖縄の工芸展-柳宗悦と昭和10年代の沖縄』もおもしろかった。そこでの発見は、「日本側と沖縄側とがお互いに求めるものが異なっていた」ことだった。つまり視線のもとがどこにあるかも重要だということだ。
盛りだくさんだったこともあって時間不足。また観に行かないと。
●参照
アイヌの美しき手仕事、アイヌモシリ
「日本民藝館80周年 沖縄の工芸展-柳宗悦と昭和10年代の沖縄」@沖縄県立博物館・美術館
短編調査団・沖縄の巻@neoneo坐
「まなざし」とアーヴィング・ペン『ダオメ』
オクテイヴィア・E・バトラーの遺作『fledgling』(2005年)を読む。
洞窟の中で記憶喪失で目覚めた女性はヴァンパイアであり、部族間で争うという物語。彼女たちは人間の支援者たちと共生するのだけれど、そのあり方は、ヴァンパイアがときに人間の血を吸い、人間はそれで弱りつつも他の力を得るというもので、奇妙におもしろい。
バトラーがなぜ再評価されているかといえば、SFの想像力によって黒人としてのアイデンティティや直面する問題をとらえなおしているからだろう。フルートのニコール・ミッチェルも大きくバトラー作品にインスパイアされているし、それは抑圧の歴史や社会が宇宙や架空世界をモチーフにした音楽の想像力を爆発させてきたアフロ・フューチャリズムを考えれば不思議ではない(サン・ラだって、アース・ウィンド・アンド・ファイアーだって)。
『fledgling』にも、ヴァンパイアが痩せた白人でないこと、メラニンがあるために昼間でも大丈夫なこと、異なったものたちが共生を模索していること、レイシズムのような憎悪が争いを起こすことなど、たくさんの仕掛けやアナロジーがある。邦訳されたバトラーの長編小説は『Kindred』だけで、長いこと入手困難な作品だったけれど、最近文庫化された。解説だけでも読みたいから買ってみようかな。
●参照
ニコール・ミッチェル『Maroon Cloud』
ニコール・ミッチェル『Mandorla Awakening II: Emerging Worlds』
「JazzTokyo」のNY特集(2017/7/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2017/5/1)
オクテイヴィア・バトラー『キンドレッド―きずなの招喚―』
大和田俊之『アメリカ音楽史』
東京国立博物館で「最澄と天台宗のすべて」展を観てきた。
仏教も仏教美術も好きなのだが門外漢だからすぐに忘れ、そのたびに勉強する。頼りにするのは末木文美士『日本仏教史』。もう四半世紀前に読んで、良書だと思ったのでフィルムルックスを貼ってまだ大事にしている。
それによれば、エリート最澄はせっかく入唐しながら「自らの知識が時代に遅れつつあること」に焦りをおぼえ、帰国後の日本で求められた「密教的な呪法の力」に対して最澄のそれは「付け焼き刃」であったから、年下のライバル空海に教えを乞うた。だから両者の交流とは言ってもその多くは最澄の側からの密教経典の借用だった。今回の展示ではそのあたりの屈折した関係がさらりと触れてあるのみで、密教についても並列的に展示するにとどめている印象。もちろんことさらにドラマチックな対立を見せなくても良いのだろうけれど、きっとそのほうがおもしろい。だから、「最澄は「最も澄む」と書くが、彼は澄みきった深い淵のような孤独と誇りに生きてきた僧であるかにみえる。それに対して空海というのは空と海である。それは果てしなく巨大な空であり海である。その巨大なもののなかには、いささかいかがわしいもの、汚いものもないわけではないが、それらのいかがわしいもの、汚いものも、空のような海のような、はてしない巨大な世界のなかではいつの間にか浄化されてしまうのである。」(『芸術新潮』1995年7月)などという梅原猛の文章に煽られるわけである(いや、自分が)。じっさい、空海が下賜された東寺の「何でもあり」の仏像群を見たとき圧倒されて脳内快楽物質が分泌された記憶があるし、納得できなくもない。(おかざき真里の漫画『阿・吽』はそのようなものらしい。大人買いしなければ。)
それはともかく今回の展示物は刺激的。いくつもの「法華経」は引いてしまうほどゴージャスで、金箔を散らしたり、金泥で書いたりしている。貴族に華美さが好まれたこともあるのだろうけれど、やはり、宗教は語りなおされるたびになにかが付加されて強力になっていくのかなと思えた。
●参照
末木文美士『日本仏教の可能性』
国宝・阿修羅展
東寺、胡散臭さ爆発
仏になりたがる理由
三枝充悳『インド仏教思想史』
楠元香代子『スリランカ巨大仏の不思議』
杭州の西湖と雷峰塔、浄慈寺
山西省・天寧寺
山西省のツインタワーと崇善寺、柳の綿
北京のチベット仏教寺院、雍和宮
天童寺とその横の森林
阿育王寺(アショーカ王寺)
Ursula K. Le Guin - The Word For World Is Forest / アーシュラ・K・ル・グィン『世界の合言葉は森』
サックス奏者のマタナ・ロバーツがこのSF小説に触発されたとインタビューで語っていて、そこに彼女が見出した大事な点は、環境倫理、レイシズムや植民地主義のアナロジイといったものだった。実際、マタナは自作で黒人の子どもがKKKから逃れる場所として森を想定していた。
思い出して読んでみたら、たしかに素晴らしいイメージ喚起力がある。森の人、人為による破壊と収奪、現実の対義語ではない夢。 「森の音楽」ではなく「森が象徴するような音楽」を聴いてみたい。
The Quietusでのインタビュー
https://thequietus.com/articles/27153-matana-roberts-interview-2
JazzTokyoでのインタビュー(マタナが来日したときに約束してくれて、後日インタビューできた)
https://jazztokyo.org/interviews/post-42119/
●アーシュラ・K・ル・グィン
アーシュラ・K・ル・グィン『マラフレナ』