Sightsong

自縄自縛日記

岡田一男『沖縄久高島のイラブー』

2024-08-18 16:21:10 | 沖縄

シネマ・チュプキ・タバタにて、岡田一男『沖縄久高島のイラブー』(2024年)。

沖縄開闢神話の地・久高島では、住民を神女として相互承認させるためにイザイホーという祭祀が12年にいちど行われていた。だが人口減少もあり、最後に行われたのは1978年のこと。その貴重な記録映画が『沖縄久高島のイザイホー』(岡田一男監督)だが、そのときイラブー(エラブウミヘビ)の燻製作りも撮影されていた。そして21世紀になり、途絶えていたイラブーの捕獲と燻製が復活してきた。映画はかつてのフィルムと最近の様子を対照させて示している。

20年近く前、僕が久高島を訪れた日がちょうどイラブー獲りの復活というタイミングだった。もちろん島内でイラブーを食べられる店などなかったし、那覇の市場にぶらさがっている乾物はほかの場所から運ばれてきたものだった。映画によれば、伝統が断絶している間に外の漁民が近くにイラブーを獲りにきたり、質の悪い燻製を作ったりといった動きがあったらしい。おもしろいのは、復活にあたり製造技術を学ぶため鹿児島や静岡やモルディブに行ったということ。

伝統といってもずっと変わらないものがあるわけではない。宮内泰介・藤林泰『かつお節と日本人』によれば、かつお節はかならずしも日本料理の伝統というわけではなかった。状況が大きく変わったのは戦争。栄養と携行性にすぐれたかつお節の生産は国策となり、インドネシアや南洋群島などへの「南進」が繰り広げられた。それを担った働き手の多くは沖縄の漁民だった。だから、映画でも「新しいやり方でよい」といった発言があるけれど、それも当然か。それではイラブーの燻製技術に沖縄のかつお節製造がどのように影響したのか、そのあたりは映画ではわからずなお興味津々。

ところでモルディブにはかつお節のようなモルディブ・フィッシュというものがあり(『美味しんぼ』で有名になった)、スリランカでよく使われている。僕も20世紀の終わりころにスリランカを旅したとき、市場でモルディブ・フィッシュを買って帰ってきたのだけど、どうも出汁を取るのではなく砕いて入れるもののようで、うまく使えなかった記憶がある。久高島の人はモルディブでどのような知見を得たのだろう、これもまた興味津々。

さてどこに行けばイラブー料理を食べることができるのだろう。


ヨシュア・ヴァイツェル+永井千恵+坂田明@稲毛Candy

2024-08-18 14:41:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

稲毛のCandy(2024/8/17)。

Joshua Weitzel (Shamisen)
Chie Nagai 永井千恵 (vo)
Akira Sakata 坂田明 (as)

ヨシュアさんは体調もかなり戻ったようでひと安心。

三味線も永井千恵さんのガジェットも中心への引力が小さく、むしろ逸脱することを是としている。その音は、まるで別の世界がここに重なって存在するよう。ところが千恵さんの透き通る声や坂田さんのアルトが聴く者を我に返らせる。ふたつの世界の間を往還するようなライヴだった。

Fuji X-E2, Leica Elmarit 90mmF2.8 (M), 7Artisans 12mmF2.8

●ヨシュア・ヴァイツェル
マッシモ・マギー+ヨシュア・ヴァイツェル+ティム・グリーン『Live at Salon Villa Plagwitz』(JazzTokyo)(2020年)
池田謙+マッシモ・マギー+エディ・プレヴォ+ヨシュア・ヴァイツェル『Easter Monday Music』(JazzTokyo)(2019年)
Takatsuki Trio Quartett『Live in Hessen』(JazzTokyo)(2019年)
齊藤僚太+ヨシュア・ヴァイツェル+田中悠美子@Ftarri(2018年)
齊藤僚太+ヨシュア・ヴァイツェル+増渕顕史@Permian(2018年)
二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+アルフレート・23・ハルト+竹下勇馬@Bar Isshee
(2017年)
大城真+永井千恵、アルフレート・23・ハルト、二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+中村としまる@Ftarri
(2017年)
現代三味線デュオ『弦発力』(斎藤僚太、ヨシュア・ヴァイツェル)(2016-17年)
ウルリケ・レンツ+ヨシュア・ヴァイツェル『#FLUTESHAMISEN』(2016年)

●坂田明
BIG FOOT@秋葉原GOODMAN(2024年)
坂田明 with TRAVISANO TRIO@千駄木Bar Isshee(2024年)
クレイグ・ペデルセン+マーク・モルナー+坂田明@千駄木Bar Isshee(2024年)
ケン・ヴァンダーマーク+ポール・ニルセン・ラヴ 2024年日本ツアー(関東編)(JazzTokyo)(2024年)
そらの下、わらの家@公園通りクラシックス(2024年)
ポール・ニルセン・ラヴ+ケン・ヴァンダーマーク+坂田明@渋谷Super Dommune(2024年)
坂田明+香村かをり@千駄木Bar Isshee(2023年)
フィールド – ダイクマン – フローリン / Drag it to the bottom w/坂田明@横濱エアジン(2023年)
MMBトリオ+坂田明@下北沢No Room for Squares(2022年)
特殊音樂祭@和光大学(JazzTokyo)(2019年)
Arashi@稲毛Candy(2019年)
リューダス・モツクーナス『In Residency at Bitches Brew』(JazzTokyo)(2018年)
ピーター・エヴァンス@Jazz Art せんがわ2018(JazzTokyo)
JAZZ ARTせんがわ2018
サイモン・ナバトフ@新宿ピットイン(2017年)
『浅川マキを観る vol.3』@国分寺giee(2017年)
坂田明+今井和雄+瀬尾高志@Bar Isshee(2016年)
ジョー・モリス@スーパーデラックス(2015年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
見上げてごらん夜の星を(坂田明『ひまわり』、2006年)
浅川マキ『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏家たちのOKをもらった』(1980年)
浅川マキ『Maki Asakawa』(主に1970年代)


今福龍太『霧のコミューン』、川満信一

2024-08-18 13:53:58 | 思想・文学

今福龍太『霧のコミューン』(みすず書房、2024年)。「群島」的な思考、大文字の歴史への疑い、AIへの疑い、やはり読んでいて発見することが少なくない。

今年亡くなった詩人の川満信一さんについての章もあった。東アジアの島嶼部において独自に構想されてきたヴィジョンとして、島尾敏雄(ヤポネシア)、谷川雁、崎山多美、エドゥアール・グリッサンらとともに川満さんの思想が挙げられている。

もちろん、川満さんが沖縄独立を想って書いた憲法案「琉球共和社会憲法C私(試)案」(1981年)も思想のひとつの成果であるけれど、それは実際のところそれは体系的でもなんでもなかった。だから今福さんも共鳴したのかもしれない。僕の手元には川満さんの個人誌『カオスの貌』が4冊ほどあって、ときに思い出して開いてみてもすぐになにかが得られるようなものではない。そのあたりに大いなる価値を見出すべきなのかな、と思っている。

●川満信一
川満信一『沖縄発―復帰運動から40年』
仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』、川満信一『カオスの貌』
仲宗根勇・仲里効編『沖縄思想のラディックス』
『越境広場』創刊0号
仲里効『悲しき亜言語帯』
知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』
鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』


『ユリイカ』のポール・オースター特集号

2024-08-18 13:50:00 | 北米

『ユリイカ』のポール・オースター特集号をぱらぱら。

オースターの翻訳家・柴田元幸さんの指摘がおもしろい。「人は大人になるとas ifと言わずに、almost as ifと『別に断定はしていないんだけど』とalmostをつけたくなる」が、オースターはalmostを使わない若者であった、と。 それで思い出したのは、J・M・クッツェーとの対談集『Here and Now』を読んだとき、クッツェーはなんてつまらないことしか言えない人なんだろうと感じたこと。たしかにオースターと話す「大人」はそうみえてしまうものかもしれない。

もとより自分とクッツェー作品はどうも相性が悪い。『The Childhood of Jesus』でもじつに嫌な気分になったし、つい続編の邦訳『イエスの学校時代』も読んでしまい、どうもなんとも。いま調べてみたら第3作『The Death of Jesus』が出ている。読まないと。

●ポール・オースター
ポール・オースター『Baumgartner』(2023年)
ポール・オースター+J・M・クッツェー『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011』(2013年)
ポール・オースター『冬の日誌』(2012年)
ポール・オースター『Sunset Park』(2010年)
ポール・オースター『インヴィジブル』再読(2009年)
ポール・オースター『Invisible』(2009年)
ポール・オースター『闇の中の男』再読(2008年)
ポール・オースター『闇の中の男』(2008年)
ポール・オースター『写字室の旅』(2007年)
ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』(2005年)
ポール・オースター『オラクル・ナイト』(2003年)
ポール・オースター『幻影の書』(2002年)
ポール・オースター『トゥルー・ストーリーズ』(1997-2002年)
ポール・オースター『ティンブクトゥ』(1999年)
ポール・オースター『リヴァイアサン』(1992年)
ポール・オースター『最後の物たちの国で』(1987年)
ポール・オースター『ガラスの街』新訳(1985年)
ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』(1982年)
『増補改訂版・現代作家ガイド ポール・オースター』
ジェフ・ガードナー『the music of chance / Jeff Gardner plays Paul Auster』


ハン・ガン『別れを告げない』

2024-08-18 13:46:10 | 韓国・朝鮮

ハン・ガン『別れを告げない』(白水社、2021/2024年)。

恐ろしくて逃げられず一気に読了した。1948年、アメリカと傀儡の軍事政権は「アカ」をつぶすために済州島の住民3万人前後を無差別に殺した。その記憶を抱えていた母親、生死の間の世界で語る自分と友人。記憶はつねに一次的な感覚と直結している。冷たさ、痛さ、重さ。事件のあとに日本に小舟で逃亡してきた金時鐘さんにとって、それが、父親が歌った〈クレメンタインの歌〉の声の記憶だったように。

●済州島
杉原達『越境する民 近代大阪の朝鮮人史』
ヤン ヨンヒ『スープとイデオロギー』
済州島、火山島
済州島四・三事件の慰霊碑と写真展
済州島の平和博物館

済州島四・三事件69周年追悼の集い〜講演とコンサートの夕べ
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範
文京洙『済州島四・三事件』
文京洙『新・韓国現代史』
金石範、金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金石範『新編「在日」の思想』
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金時鐘『背中の地図』
金時鐘講演会「日本と朝鮮のはざまで」
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』

金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
梁石日『魂の流れゆく果て』(屋台時代の金石範)
仲里効『悲しき亜言語帯』(金時鐘への言及)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(済州島から大阪への流れ)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
鶴橋でホルモン(与太話)
三河島コリアンタウンの伽耶とママチキン
尹東柱『空と風と星と詩』(金時鐘による翻訳)
『越境広場』創刊0号(丸川哲史による済州島への旅)
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』(済州島での対談)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(祝島と済州島)
野村進『コリアン世界の旅』(つげ義春『李さん一家』の妻は済州島出身との指摘)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」
「岡谷神社学」の2冊
沖縄国際大学南島文化研究所編『韓国・済州島と沖縄』