セントの映画・小演劇 150本

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劇団五期会「山人のリア」( 脚本/岩崎正裕 演出/井之上淳)(於・ABCホール) 80点

2017-09-22 20:03:40 | 演劇遍歴

大阪の代表劇団といえる劇団五期会の公演だ。こういう正統派劇は考えたら久しぶりで、たまにはこういうまともな劇もいい。シェイクスピアものなので、確かに重ぐるしいが血と欲望と人間の性を生き生きと描いている。

この劇はリア王の輻輳劇でもあり、名家のうち、分家の家もリア王のごとく、内部分裂している。これがシェイクスピア劇でも特に重層的な展開を見せ、異彩を放っている。

そのため本家の内部紛争も面白いが、分家の次男が実力でのし上がってゆくさまが一つのポイントとなる。躍動感があり、とても奥行きのある作品となった。

この父親を演じる牛丸氏が実にうまく、両目を失明させられ(実は実の息子と)放浪するシーンは、オイディプス王と重なり重層感をもたらした。ある意味この父親がこの劇の主役ではないかと錯覚するほどだ。

登場人物実に20人以上。みんなさすが、発声が見事で、久々に基本的な朗々たる演劇を見ることができた。たまにはこんな本格演劇を見ることも必要ですね。


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4 コメント

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Unknown (観劇オバケ)
2017-09-26 22:33:14
セント様

劇団五期会は劇団伽羅倶梨に客演されている牛丸さんから知り(名前くらいは小劇場観劇前から知っていたと思う)観に行きたいと思っていたものの中々御縁が無く(2014年・2015年と公演本数を観ることに拘っていたため五期会の上演時間ではハシゴが上手くできなかった)昨年の『明日の幸福』が初観劇でした。『明日の幸福』が昨年のMy best22に入ったので今年も楽しみにしていました。

演目が『山人のリア』と知ってまた楽しみに。『リア王』はまだ観たことが無い(あらすじくらいは知っている)うえ読んだこともなかったので。セントさんも書かれている(?)ように現代にシェイクスピア劇をそのままやると面白く無いんですよね。翻案の方が良いと感じることが多い。

「分家の家もリア王のごとく、内部分裂している」のはシェイクスピアの原作には無いのですね?

演技力は「流石」と思った反面最高レベルと感じなかったのはなぜ戦後のあの時代に舞台を移したのかいまいちピンと来なかったからかまたはもともと国家レベルを描いた話なので紀伊山地レベルのせせこましい話になったからかもしれませんが。。

四大悲劇のわりには泣けなかったし。。(笑)

牛丸さんが放浪するシーンは、 オイディプス王と重なり、は上手く言われますよね。
返信する
ご無沙汰です。 (セント)
2017-09-26 23:37:23
観劇オバケさま、こんばんは。
「シェイクスピアの原作には無いのですね」。誤解を与えました。あまり詳しくないのですが、原作も確かこのような感じだったように思われます。
それで、少々修正しました。
僕には本筋より、脇筋の牛丸バージョンの方が面白かったです。でも、息子の声が分からないなんて変で、このバージョンは演出的にもうちょっと掘り下げてほしかったなあ。泣けることろなんだけど。(でも、そうすると肝心の本筋が軽くなっちゃうかもしれません)
それでは、また。
返信する
あらすじ① (観劇オバケ)
2017-09-27 01:10:06
セント様

コメ返ありがとうございますm(_ _)m

私も『リア王』検索かけてみました。セントさんのブログはURLを貼り付けるとコメントできないのでコピペします。

ごく簡単なあらすじ(要約)

まずはぎゅっと要約した
「ごく簡単」ヴァージョンのあらすじ。

ブリテンの老王リアは退位を決意し、
国を3分して3人の娘に譲ろうとする。

言葉巧みに父王を喜ばせる
長女と次女に対し、愛を言葉に
できない末娘コーディリアは
リアを怒らせて勘当されてしまう。

フランス王はむしろ感動して
コーディリアを王妃に迎える。

リアは約束通り2人の娘を頼るが、
裏切られて荒野をさまよい、
狂気にとりつかれていく。

2人の娘と不倫関係にある
エドマンド率いるブリテン軍は、
進撃してきたフランス軍を
迎え撃つ。

軍とともにドーヴァーに上陸した
コーディリアはリアと再会するも、
捕縛されて殺され、娘の遺体を
抱くリアは絶叫して死ぬ。

ん? これのどこが傑作なの?
どうってことないじゃん┐( ̄ヘ ̄)┌
…ですって?

ハハハ、それはそうかもしれません。
なにしろこれは「主筋」だけ、しかも
そのほんの骨子ですから。


ほんとはこの「主筋」に絡む「副筋」
(脇筋、サイドストーリー)のドラマを
見ていかないとこの悲劇の壮大な構想は
理解できないんですね。

「副筋」では(早くもネタバレですが)、
家臣のグロスター伯に、両眼をえぐられる👀
というギリシャ悲劇『オイディプス王』にも
似た惨事が襲いかかります。

このもう一つの悲劇が、リア側の「主筋」を
追いかけるというフーガ(遁走曲)のような
構成になっていて、ここが芸術的にスゴイところ。

で、またその「副筋」の悪役であるエドマンド
という男が、リアの長女と次女の両方と
不倫関係を結ぶ猛者だという
エグい内容なんですね。

このように複雑なので、実際の芝居を見るか、
映画で鑑賞するのが手っ取り早いと思う
かもしれませんが、オーソン・ウェルズ主演の
アメリカ映画(1953)などは「副筋」を
バッサリ切り捨てているのでオススメ出来ません。

というようなわけで、下記の「かなり
詳しいあらすじ」では、できるだけ
原文の引用を挟みながら進めていきます。

「”」印のあるグレーの囲みと「  」の中は
すべて原作(上記「岩波文庫」の
野島秀勝訳)からそのまま引き抜いた文章で、
名言とされる言葉も含みます。

かなり詳しいあらすじ

では、参りましょう。

【第一幕】
引退を決意したブリテン王、リアが
三人の娘に王国を分け与えようとし、
「お前たちのうち、だれが一番、
父としてのこのわしを愛しているか?
言ってみよ」と命ずる。

すでに嫁いでいる長女ゴネリルと
次女リーガンは、父への愛を大げさに
表現して、一定の領地を約束される。

が、未婚の末娘のコーディリアは、
「何も」(Nothing)、と答えて
リアを激怒させる。

愛すればこそ「お姉様たちのように
結婚などいたしません」などと
言いつくろうものの、聞き入れられず
親子の縁を切られてしまう。

これについて考え直すよう進言した
忠臣のケント伯に対してもリアは
怒りをぶつけ、王国から追放する。

滞在中だったコーディリアの求婚者のうち、
バーガンディ公が求婚を取り下げたのに対し、
フランス王は彼女の「高潔な心」を
「この場で掴み取る」と述べて、
王妃としてフランスへ連れ帰る。

リアの家臣グロスター伯の庶子(愛人の子)
エドマンドは一計を案じ、嫡子(跡取り息子)
である兄エドガーの父殺しを企む手紙を
偽造して父に読ませる。

エドガーに対しては、誰かの告げ口のせいで
父が不興だから、しばらく隠れているよう
説得する。

リアはまずゴネリルの夫オルバニー伯の
館に滞在することにしたが、そこに現れるのが
追放されたケントで、彼は変装で道化じみた
別人になりすまして再びリアに仕える。

リアはゴネリルから、供回りの騎士を
100人から50人に減らすなど、敬意を
払わぬひどい扱いを受けて、また怒る。

【第二幕】
グロスター伯の居城で、エドマンドは
自分で腕に刀傷をつけてから父に会い、
父殺しを止めようと兄と闘い、
深手を負ったのだと告げる。

感じ入ったグロスターは、即刻エドガーを
勘当して、エドマンドに領地すべての
相続権を与える。

リーガンは姉からの手紙で不仲を知り、
リアに会うのを避けようと、夫の
コンウォール公とともにグロスター城を
訪れていたのだが、コーウォールは
エドマンドの奮闘に感銘を受け、
臣下として召し抱える。

オルバニー公の館では、ゴネリルの執事
オズワルドとケントとで決闘騒ぎとなり、
これに怒ったリーガン夫妻は、グロスターが
止めるのもかまわず、ケントを
「曝(さら)し台の足枷」にかけてしまう。

曝し台のケントを見たリアは怒り、
リーガン夫妻が自分に会おうとしないのは
「策略」だとわかった、彼らに会わせろ
とグロスターに命じる。

現れたリーガン夫妻にゴネリルの不当さを
ぶつけるが、返ってきたのは姉をかばう
言葉と、リアへの面罵。

押し問答をするところへゴネリルが到着し、
姉妹は一致協力して父を追い込む。

供回りの騎士を25人に減らせとリーガンに
言われたリアが、それなら50人を受け入れる
はずのゴネリルを頼ると告げると、
ゴネリルは5人でも多いと返し、さらに
リーガンは一人でも多いと吐き捨てる。

【第三幕】
リアとケントと道化の三人で荒野を
歩いていると、「裸のトム」と名のる
狂人に変装したエドガーに出くわし、
調子の狂った会話を交わす。

そこへ城を追われたグロスターが現れ、
ゴネリルとリーガンの命令にあえて背いて
リアを助け、保護するつもりだと告げる。

コンウォール公はエドマンドを買って
「グロスター伯爵」の地位を認め、
不埒な父親を捕えるよう命じる。

リア暗殺の陰謀を聞きつけたグロスターは、
フランス軍の上陸しているドーヴァーへ
リアを連れて逃げるようケントを促す。

グロスターは捕らえられて引き立てられ、
コンウォールによって片目をえぐられる(叫び)。

「そっちの目も」👀とリーガンが促すと、
召使の一人が「怒りの刃」を見よとばかりに
コンウォールに斬りつけ、手傷を負わせるが、
ただちにリーガンに命じられた別の召使に
刺し殺される。
返信する
あらすじ② (観劇オバケ)
2017-09-27 01:11:40
(続)コンウォールに残りの目もえぐり取られた
グロスターがエドマンドに助けを求めると、
リーガンが「お前を憎んでいる人」が
来るわけはないと真相を告げる。

「では、エドガーは欺かれたのか」
とグロスターは自らの「愚行」を悟る。

【第四幕】
城を追放されたグロスターは、荒野で
「裸のトム」ことエドガーに出会い、
ドーヴァーまで案内を頼み、相手を息子と
知らぬまま自らの愚行を話しながら歩く。

オルバニー公の館にエドマンドとともに
到着したゴネリルは、夫を悪く言い、
「あなたが指揮をお執りになって」
とエドマンドに接吻。

現れたオルバニーは、ゴネリルと
リーガン夫妻がリアに対してした
仕打ちについて難詰し始め、夫婦は
「悪魔め!」「意気地なし!」と罵りあう。

そこへコンウォール死去の知らせが入り、
ゴネリルは「これはもっけの幸い」
と独白しながら退場。

エドマンドの陰謀を知ったオルバニーは
「グロスターよ、お前の目の仇は必ず
取ってやるからな」と決意。

グロスターの手を引くエドガーは
ドーヴァー近くの片田舎で、リアに
出くわし、ボロを着たその姿に心を
痛めながら、その「意味と無意味」
「狂気と理性」の入り混じる言葉に
聞き入る。

そこへゴネリルの執事オズワルドが現れ、
グロスターを連行しようとするが、
エドガーはこれを阻止して打ち倒す。

息絶える間際に、オズワルドは
懐の手紙を「エドマンド様に
届けてくれ」と懇願する。

その手紙を読むと、ゴネリルから
エドマンドに夫殺しを依頼する内容の
「愛をこめ」たもの。

ケントに導かれてドーヴァーの
フランス軍陣営内に到着したリアは
コーディリアと再会し、娘の真情を
ようやく理解し、「毒を飲めとお前が
言うなら、飲みもしよう」とわびる。

【第五幕】
ブリテン軍陣営でエドマンドの独白
あの姉と妹、双方に愛を
誓ってやった。

二人は互いに疑心暗鬼、
まるで蛇蝎のように
恐れ憎み合っている。
〔中略〕
どっちを取っても
楽しみにはならん、
両方とも生きている限りは。

エドマンド率いるブリテン軍は
フランス軍を破り、リアは
コーディーリアともども捕縛される。

リーガンは、エドマンドとの仲を疑う
ゴネリルによって毒殺され、エドマンドは、
甲冑姿に身を固めたエドガーに
決闘を挑まれ、打ち倒される。

瀕死のエドマンドは、名を明かした
エドガーから、父グロスターの最期の
模様を聞かされる。

そこへゴネリルが自害したとの知らせが入る。

エドマンドはリーガンとゴネリルの二人に
愛されたことを虚しく誇りながら、
リアとコーディリアに刺客を
向けたと告げて死ぬ。

エドガーは救出に向かうが、時すでに遅く
コーディリアは絞首刑に処せられている。

娘の死骸を抱いたリアが
激しく嘆いて絶命する。

オルバニーは退位を表明し、エドガーと
ケントに高い勲位と特権を授け、
王国の統治を依頼する。

認知症”老人をどう扱うか

さあ、いかがでした?

これでもう大丈夫ですよね、
感想文だろうがレポートだろうが…。

「主筋」だけでも、見ようによっては
大いに現代的ですよね。

上2人の娘とコーディリアの真意が
全然見抜けないリアは、第一幕第一場に
登場する時点ですでにボケてるというか、
「認知症」の老人だと見なすことも
できるでしょう。

このボケがやがて「狂気」ともなる、
その凄みと、つい笑ってしまう部分。

そしてそれにどう対処するかで、
子供たちの性格・人格が浮かび上がるという
このドラマ、完全に現代に通じますよね。

上2人の娘の行為は完全な「親捨て」
であるばかりか、かなりあくどい嘘と
裏切りに満ちているわけで、それだけに
彼女らを信用してしまうリアのボケぶりが
逆に際だつわけですね。

エドマンドこそ「白砂糖の悪人」?

そして彼女らの悪辣さに結びつき、陰で
操っていることが徐々に見えてくるのが
「副筋」の主役ともいえるエドマンド。

女性にモテモテで頭も切れる、
ものすごく魅力的な悪役ですよね。

シェイクスピアの想像した”魅力的な悪役”
といえば『オセロ』のイアーゴがあって、
この人物造形に大いに称賛した日本人に
夏目漱石があります。

漱石の東京帝大での講義録である
「『オセロ』評釈」によりますと、
オセロはまさにこんな人物。
善人だか悪人だか分からないやうな、
表面だけ見ると立派な善人で、
然も一面大悪人であるといふ
やうな性格をかいて見たら
面白いだらうと思ふ。

自分はさういふ人間が確に
世の中にはゐると思ふ。

この意味できわめて魅力的な「悪人」の
造形ではあるんですが、ただ惜しいことに
“悪友”ともいえるロダリーゴにだけ自分の
意図を話して「化けの皮を現はして」いる。

もし「誰にも心中を打ち明けないで、
独りで悪をするやうに描いたならば」、
「a refined rascal(洗練された悪漢)」
すなわち「黒砂糖でない、白砂糖
(refined sugar)の悪人」となれた
はずだ、と惜しんでいるんですね。

もしこ「悪役」観をエドマンドに
当てはめてみたら、どうでしょう。

私が読むかぎり、彼は一切「誰にも
心中を打ち明け」ていません。

「『オセロ』評釈」によると、漱石は、
「白砂糖の悪人は今までの文学にない」
と説いたそうですが、『リア王』にそれは
あったというべきなのでは?( ̄□ ̄;)!!。

そこで『漱石全集』第27巻をひっくり返し、
蔵書書き込みなどを調べてみたのですが、
残念ながら蔵書のうちに『リア王』はなく、
漱石がエドマンドをどう見たかを考える
手掛かりは残されていないようですね。

このあたり、読者のみなさんのご意見を
伺いたいところですし、また感想文や
レポートで考察されたら面白い
問題だろうと思います。(以上)

上記が詳しいですね。ほぼ忠実に演ったみたいです。

確かに分家の話の方が面白かったです。牛丸さんは伽羅倶梨の時は毎回良い役を貰ったはって役者として好きなんですよ(笑)今回は出だしはいつもほど良く感じなかったのですが話が進むに従って良くなっていかはった感じ。

「息子の声が分からないなんて変で、このバージョンは演出的にもうちょっと掘り下げてほしかったなあ」←わかります。シェイクスピアはこういうところありますよね。単純化してるんだろうけど確認したらわかるやん、みたいなところ結構あるし(笑)私はどうもその辺のリアリティにかけると入り込めないみたいで(苦笑)
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