グレッグ・イーガン「キューティー」

2009-11-08 19:15:06 | 本関係
エンジェルの「パパ!」というセリフを見る前から、ユーノのことが頭から離れなかった。


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要するに、キューティというのは、心をとろけさせるようなかわいらしい赤んぼうはほしいけれど、その先の、ひねくれた六歳児や、反抗的なティーンエイジャーや、両親の死を看とりながら、遺言状が開封されるときのことで頭がいっぱいの中年のハゲタカは絶対にごめんだ、という人々の理想を実現したものといえる。
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そう、これこそ私が最も恐れているものの一つだ。
私が子どもを渇望するのは、単に自らの慰めとなる愛玩動物がほしいだけなのではないか?都合の悪い部分に目を瞑っているだけなのではないか?たとえば、「萌え」なるものにしばしば愚かさにも似た無邪気さが求められているのを見るとき、そのような考えにとらわれるのである。


そして次のようにも想像する。
自分の子供に愛着を持ち、この子のためなら働けると思い、この子のためならと服を与え、教育を施す。しかし、まさにその子ども自身の反発によって、これらの考えや行為が思いやりではなく、単に愛着の押しつけにすぎないと気付き、今まで批判してきた同一化・埋没のワナに自分自身がはまっていたことに気付き、愕然とするのではないか、と。


自らが妊娠して子どもを産みたいとまで思うか?
この問いに否定という形で即答できないことが、周囲を困惑させることは容易に想像がつく。しかし、たとえ私が子どもを見た時に感じる愛着がむしろ自らの分身ではないという他者性に基づくものであろうと、自分の生活能力に重大な疑問があろうと、そして母の不在が子どもに対して重大な影響を及ぼす可能性があろうと、この問いを否定することは容易ではない。


それがまさに今の自分である。
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