「情念」:はじめの一歩、演出、少女小説

2007-04-09 02:01:16 | レビュー系
繰り返し述べてきた「情念」という視点によると、例えば「はじめの一歩」への思い入れなども容易に理解できる(千堂vs一歩や間柴vs木村を始めとして、いかに多くの人々の「情念」によってこの作品が成り立っていることか!)。


ただし前にも述べたとおり、生々しい感情をただ吐き出させるのは下の下である。(ほとんどの場合)それは演出ではなく、単なる感情の垂れ流しに他ならないからだ。そんなものならないほうがマシである。


また、「情念」によって私の作品への反応について多くのことが説明できるのは確かだが、「情念がなければダメだ」と前提化するのは誤りである。というのも、怪傑ズバット筒井康隆の作品群サナギさん、あるいは行殺新選組(もっとも、このゲームは近藤や土方を始めとする「情念」の部分もきちんと書いているからこそ傑作と呼べるのだが)といった作品群が、全くそのカテゴリーに当てはまらないからだ。このようなシュール、あるいは(いい意味で)バカな内容への愛についても、機会があれば考えてみたいと思う。


最後に蛇足ながら…
少女パレアナ赤毛のアン小公女といった所謂「少女小説」を楽しめている理由は、「父親としての視点」で見ているからだと推測される(赤毛のアンで言えば、アンではなくマシューの視点)。多分これも先に書いた「娘属性」に含まれるのだろう。なお、この「娘属性」に関しては、今度村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』やきづきあきらの『モン・スール』を使いながら記事を書くことも予定している。
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