いよいよ「ビースターズ」アニメ版の具体像が出てきましたな。演技力が極めて重要な作品なので、特にレゴシやルイの演者がどのようなパフォーマンスを見せてくれるのかに期待したい。
漫画の方も、境界線にいる存在=レゴシを主人公にして異種族の橋渡しをさせるのかと思いきや、最新の話では境界線にいる者たちの悲哀を、観念的な差別・苦悩ではなく、身体性=抜きがたい性質として描いているのが興味深い(このようなテーマを人間で表現するのはかなりの困難が生じるし、公平に評価するのも難しくなってくるだろう。その意味では、動物たちを主人公にしたのは身体性についての説得力含め、賢明な判断だったと言える。ところで、今日の私たちは人間に関しても身体性にまつわる極めて厄介な問題を抱えている。その一つが遺伝子分析てまあり、これによって自由意思ではどうにもならない、すなわち各人の抜きがたい性質が白日の元にさらされると、努力分野だと思っていたものが治療すべき病として正しい対応がされうる一方、どうにもならぬスティグマとしてその人[たち]を苦しめる可能性は十二分にある)。
「人間はわかりあえる」という信仰を持っている人たちは、動物に置き換えても「彼らはわかりあえるはずだ(にもかかわらずいがみ合っているのが問題である)」という幻想を抱きがちである。そのようなありふれた幻想を軸にするなら、なるほどレゴシは混血であり、ユニバーサルな人道(獣道?)主義の理想的担い手にも見えそうだ。
しかし、ここでとあるキャラを出すことによって、レゴシの置かれた「混血という立ち位置=マージナルな存在」さえ絶対化しない、という方針を明示している。これはレッテル貼りと罵りあいが横行しがちな今日、とても重要なことのように思える。
というのも、日本で言えば中世の被差別民などが典型だが、それを神聖化する行為は、それを差別する行為と裏表であり、ゆえに両者はしばしば交換可能だからだ。
このような事例を踏まえると、「混血」という抽象的レベルでレゴシたちを理想的存在に祭り上げない、というのは極めて重要なことだろう(たとえば、身体的・社会的弱者を聖人のように祭り上げるのは、結局彼らを自分たちと同じ存在として見ない、と言っているに等しい)。
ビースターズはこういった視点を強く持ちつつ、しかもそこに身体性を絡めながら描写しているのが極めて優れた点の一つと評価できる。私も多分に観念的なところがあるので、その意味でも思考のアンカー役として、この作品は非常に参考になるし、また非常に好きな作品でもある。
それをどうアニメという形で(まさに)魂を込めて身体化するのか・・・スタッフたちの手腕に期待したい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます