成熟社会と日本語(的コミュニケーション)って相性が悪いんよね・・・て話

2023-11-25 12:47:38 | ことば関連

 

 

「ごんぎつね」が読めない小学生に関する話について、読解力の低下云々の要素がゼロかはわからないが、「そもそも共通前提がどんどん消滅している状況において、この手のタイプの誤読は増える」てことと、「若者がどうこうではなく、そもそもハイコンテクストな日本語が価値観の多様化した成熟社会に適さない」という趣旨のことを書いた。

 

そんな折、ちょうど元代ゼミ・東進の西きょうじ、そして新生「ただよび」の校長となった宗慶二の対談を見ていた際、冒頭の英語と現代文(日本語)のロジックという回があったので、掲載してみた次第。

 

その中でも言われているが、これは「日本語がダメになった」とか、「英語の方が優れている」という話では、全くない。

 ◆グローバル化による人・物・情報の流動性促進

 ◆共同体の解体が進んだことによる共通前提の減少・消失

 ◆人権の普遍化によって人種差別や価値観の押し付けが否定され、多様化が容認される社会へ

といった事象が複雑に絡み合いながら進行(=成熟社会化)した結果、価値観の近似性を元に成り立っていたハイコンテクストな日本語、より正確に言えば、日本的コミュニケーション作法が時代にそぐわなくなりつつある、という話だ(ちなみにこれは日本に限らず先進国では軒並み起こっている事態で、各国でその変化に対する軋轢は生まれているのだが、ムラ社会的メンタリティと、省略が多く忖度を要求する言語構造を持つ日本社会においては、そのコンフリクトが特に強く出やすい、という事)。

 

なるほど確かに、人の流動性が低く、消費するものも比較的似通っている状況で長きに渡って関係性が構築される状況では、「以心伝心」とか「阿吽の呼吸」といった発想は、仲間内でしか通じないスラングが連帯意識を高めるのにも似て、むしろ合理的だった側面はあるだろう(これは前に取り上げた『自閉症は津軽弁を話さない』で触れた方言の社会的機能を想起したい。すなわち、その使用は仲間であるという意識を醸成するとともに、コミュニケーションにおける共通語→方言という変化は「距離を縮めたいという意図を相手に示す」効果を持つといった話である)。

 

しかし繰り返すが、その状況は急速に失われつつある。例えば、消費するコンテンツについて考えてみよう。昭和の頃なら、選択肢が狭かったため、多くの小中学生が毎週テレビで特定の番組を見て学校で盛り上がっていただとか、多くの大人が野球やプロレスはある程度見ていたとか、あるいは流行歌についての認識があったとか、そういう共同性が存在していた(実際、自分が小学生低学年の頃は、よほどの事がなければゲームはファミコンぐらいしかなく、大抵ドラクエだのエフエフだのマリオなどで盛り上がれたものだ)。

 

逆に今は、無限と言っていいほどに選択肢がある上、その消費サイクルも早いため、「~について話せば誰にでも通じる」という認識はほとんど通用しない。せいぜい、その時話題になっている炎上事件や国際的事件などが一瞬共通の話題として通じるぐらいで、あとは各々が別の趣味に興じており(蛸壺化)、「通じて当然」という認識自体が不見識とすら言えるだろう(なお、この状況でもネットが普及した今では地球の反対側含め趣味嗜好が共通する相手を見つけることは容易であり、隣人よりもそちらの方にこそ親近感を覚えることもあるだろう)。

 

また社会構造においても、非正規雇用の増加、終身雇用の崩壊、年功序列の解体、皆婚時代の終わりと単身世帯の増加、LGBTQの認知などなどで、高度経済成長期や一億総中流社会の頃に持たれていたライフステージの観念が、もはや今日共有しえないことは論を俟たない(その状況をカリカチュアしたのが以下の動画である。ちなみにこの話は、「クレヨンしんちゃん」の最新の映画に関し、主人公たる野原家の「普通」がもはや「普通」ではなくなったことがいささかグロテスクな形で暗示された、と批評的に述べられていることなどにもつながる)。

 

 

 

 

以上要するに、今の日本社会に関して言えることは、もはやかつての自明性とそれに基づいたコミュニケーションは通用しないにもかかわらず、新しい社会状況に対応するようなコミュニケーション作法を教わる機会は、大学のワークショップやビジネスの研修など限られた場面しかなく、そもそも省略をやたら行う「わかり合い」を前提とするハイコンテクストな日本語の構造自体が、今の時代にすぐわなくなっている、ということである(その意味で、小学生が「ごんぎつね」を読めない、というのは限られた一側面でしかなく、世代論的に「今どきの小学生は・・・」のような発想をするのは、全く馬鹿げているとも言える)。

 

そのような事態を考える上で、冒頭の英語と現代文のロジックの話は参考になる、と述べた上でこの稿を終えたい。


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