Vtuberも1万人以上いれば様々なタイプのキャラクターが存在するわけだが、その中でも「脱社会的」というか、別の世界に片足を突っ込んでいて、いつこの世界からいなくなってもおかしくないような印象を受けるのが、にじさんじの「ましろ」である(ちなみに脱社会的は「反社会的」という意味ではないので悪しからず)。
冒頭の切り抜き動画にもあるが、幼少期に壮絶な経験を様々しているようで(この辺は前に紹介した「息根とめる」などに通じるものがある)、それがおそらく「今ここに自分が存在していることは、自明でも何でもない」という感覚へとつながり、独特の佇まいを作り出しているのではないだろうかと思う。
このような性質を持った人に対し、性別不詳に見えるビジュアルと中性的な声をアバターとして付与したのは慧眼であると思う。また、そのようなキャラクターが、怪談話やホラーゲーム実況など含め、逢魔が時(此岸と彼岸の境界線)を渡り歩く配信をするというのは、世界観として一つの完成形とさえ言えるかもしれない(もちろんこれが全て真実かどうかなど検証のしようがないため、RPを多分に含んでいる可能性もあるが、この佇まいをRPでできるなら、それはそれで十分に才能だと思う)。なお、以下の3D配信は、その極北と言えるものであった。
さて、「脱社会的」な雰囲気をまとったVtuberというと、自分が他に思いつくのはましろと同じにじさんじ所属の「黛灰」だ。
「ハッカー」という設定で機械系に詳しく(元々ライバーではなく裏方として応募していたとも聞く)、クールというかローテンションなのだが振り切ったモノマネなどもできる多芸なライバーである。どこか世捨て人然とした雰囲気を漂わせているが、自身の中に確固たる世界観を持っており、一つ一つの考え方には論理的・倫理的な積み上げの背景があることを感じさせる(その考え方や評価・結論が一般の平均的なものに近い場合もあるし、極めて独特な場合もある。ちなみにこういう傾向を強く感じるライバーの一人が「兎鞠まり」なのだが、これについては機会があれば別で書きたいと思う)。
これはもしかすると、自身が明かす施設育ちであることが関係しているのかもしれない。つまり、保護者的な存在から体系的にかくあるべしと教わるのではなく(もちろんそういう要素が全くゼロだったこともないだろうが)、周りを観察して思考することでその体系を積み上げていった経験が強い影響を及ぼしているのではないだろうか。そして同時に、多様な背景を持った子たちが施設にはいるため、「俺はこう思うんだけど、お前はどう?」というような他者との距離感が醸成されていったように思われる(なお、本人のセクシャリティについても色々苦悩した経験もあるとも聞くので、そういったことも関係はしているかもしれない)。
ただ、(自分の知る限り)ましろと違うのは、背景となるものの繋がりは比較的見えやすい、というところだろうか。例えば、これは全くの偶然だが、黛が年末年始のイベントで施設にいる時に電話がかかった時の反応は配信の時より明るいトーンで、端的に言えば「ここはこの人の居場所(ホームベース)なんだろうな」と感じるものであった(これは黛が児童養護施設に1000万円寄付したことにも伺える)。その意味では、配信での印象よりは、(少なくともましろよりは)こちらの世界に軸足を置いている人なのかもしれない。
というわけで、「脱社会的」という視点で二人のライバーを紹介してみた。これから実態としての社会は複雑化・多様化していくにあたり、人のあり方も多様になるだろうが、社会的規範意識の変化はそれに全くついていっていないと私には思える。そういう中で、こういった性質のライバーの存在が一つの拠り所(居場所)として機能するとよいなあと思う今日この頃である(という点で、前回の「Vtuberの『身近さ』がもたらすメリット:セーフティーネットにつながる一つの道筋として」と接続しますよと)。
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