緻密な心理描写か迫真の演技のどちら一方でも、そのゲームは傑作となりうる。そして君望はその両方が融合しているがゆえに、傑作の中でも一際飛びぬけている存在なのだ。
心理描写については何度も書いてきたのでくり返さないが、演技については少し触れる必要があるだろう。君が望む永遠でキャラの声が真に「演技」と言いうるレベルまで昇華されているのは、いわゆる「間」や息を飲む声をしっかりと実演しているからに他ならない。これだけでも十分特徴的なのだが、さらにメインの水月と茜、そして慎二の声優さんの演技が非常に上手いのが大きい(ただ遥については、「成人する」まで舌ッ足らずな喋り方をするので、そもそも上手く聞こえようがない)。
またあゆ・まゆがしっかりとキャラを立たせており、遥パパや健さんも「味」が出ているという意味で、かなりハイレベルな領域に達していると言っていいだろう(特にあゆは、普通に考えてもあの演技力はすごい)。星乃や香月医師に関しては、遥と同じく独特な喋りをするので評価が分かれるところか。なお穂村や蛍についてはそれほど上手いと感じないが、違和感なく特殊なポジションをこなしているという意味では十分なレベルと言えるかもしれない。
まあでも何だかんだ言ってやっぱり茜の演技力の勝利だろう。誤解を恐れずに言えば、あれはちょっと「異常」とさえ思う。「時に忘れられた部屋」で過去を演じ、孝之の前でさえも演じ続ける茜というキャラの魂が声優に乗り移った…そうとしか形容できないような何かがあの演技からは感じられる(※)。
今インストしている人は例えば「茜妊娠エンド」ルートを再プレイしてみるといい。遥の絶望的な病状を聞いて憔悴しきった声、エンディングの「母親」の声、そのどれもが、単に上手いというレベルを超えた何か(それを「キャラの息吹」というか「迫真の演技」というかは人それぞれだろうが)を訴えかけてくることだろう。
それほどの演技と緻密な心理描写によって、君が望む永遠は他と隔絶した境地に到ったのだと言える。
※
演技について考えるとき、「ひぐらしのなく頃に」の声がいい例となる。というのも、まったくの予想通り、ドラマCD、そしてアニメ版の声には原作の時に感じたような恐怖・迫力が存在しない。細かく言えば色々あるが、要は「感情の奔流を表現するのはとてつもなく難しい」ということだ。そしてそれを見事やっちまったのが君が望む永遠(そして特に涼宮茜の声優)だったというわけである。
心理描写については何度も書いてきたのでくり返さないが、演技については少し触れる必要があるだろう。君が望む永遠でキャラの声が真に「演技」と言いうるレベルまで昇華されているのは、いわゆる「間」や息を飲む声をしっかりと実演しているからに他ならない。これだけでも十分特徴的なのだが、さらにメインの水月と茜、そして慎二の声優さんの演技が非常に上手いのが大きい(ただ遥については、「成人する」まで舌ッ足らずな喋り方をするので、そもそも上手く聞こえようがない)。
またあゆ・まゆがしっかりとキャラを立たせており、遥パパや健さんも「味」が出ているという意味で、かなりハイレベルな領域に達していると言っていいだろう(特にあゆは、普通に考えてもあの演技力はすごい)。星乃や香月医師に関しては、遥と同じく独特な喋りをするので評価が分かれるところか。なお穂村や蛍についてはそれほど上手いと感じないが、違和感なく特殊なポジションをこなしているという意味では十分なレベルと言えるかもしれない。
まあでも何だかんだ言ってやっぱり茜の演技力の勝利だろう。誤解を恐れずに言えば、あれはちょっと「異常」とさえ思う。「時に忘れられた部屋」で過去を演じ、孝之の前でさえも演じ続ける茜というキャラの魂が声優に乗り移った…そうとしか形容できないような何かがあの演技からは感じられる(※)。
今インストしている人は例えば「茜妊娠エンド」ルートを再プレイしてみるといい。遥の絶望的な病状を聞いて憔悴しきった声、エンディングの「母親」の声、そのどれもが、単に上手いというレベルを超えた何か(それを「キャラの息吹」というか「迫真の演技」というかは人それぞれだろうが)を訴えかけてくることだろう。
それほどの演技と緻密な心理描写によって、君が望む永遠は他と隔絶した境地に到ったのだと言える。
※
演技について考えるとき、「ひぐらしのなく頃に」の声がいい例となる。というのも、まったくの予想通り、ドラマCD、そしてアニメ版の声には原作の時に感じたような恐怖・迫力が存在しない。細かく言えば色々あるが、要は「感情の奔流を表現するのはとてつもなく難しい」ということだ。そしてそれを見事やっちまったのが君が望む永遠(そして特に涼宮茜の声優)だったというわけである。
声優に関してはひぐらしやってねえ見てねえけど、原作が元から声無し&同人、商業主義の代理店がメインとなってメディアミックスした(版元がどれだけ口出したか知らんし、どんだけ酷いかも知らんけどw)のと、演出から何から声優ありきで製作者の意図どおり作られた君望を比べるのはどうかと。<ゲームとしてね。アニメ版はまた別。
まぁだからと言って役者さんの演技力の凄さは変わんないけどね。
#実際ひっどいのはまだいっぱいあるけどねw
#月産40~50本のアニメに対して出演できる上手い声優さんの絶対数が足りないってこった。BL系の役者なんて演技よりも顔が重視される始末。おかしいね、アニメなのにね。
珍しく長文書いてしまった。
だが俺が言いたいのはちょっと違う。
ひぐらしの演技の酷さを言いたいのではなく、濃密な感情(恐怖など)を伴うシーンを演じるのがいかに難しいかを強調したいのさ。
ひぐらしについて言えば、原作やってる頃から半ば確信してたよ。「これを声で再現するのは無理だろう」ってね(で、先にドラマCD聞いたとき「ああ、やっぱり」と思った)。極端な言い方をすれば、声優云々ではなく、あのシーンを再現すること自体がほとんど無理なわけ。たとえどんな有名どころを連れてきたところで、これは変わらないだろうね。
そしてだからこそ、方向性は違えど濃密な感情を表現できている君が望む永遠はスゴイと思うのよ。