AIの「進化」と人間の「劣化」という話を何度かしてきたけど、この動画でも言われているように、本来は色々な人間と対していく中で、人の見極め方や自分の特性の理解を涵養していくものである。
まして今は、消費するものも多様化し、社会は複雑化しているため、流動性が低かった時代の「暗黙の了解」や「以心伝心」的発想はどんどん通用しなくなってきている(20年以上前に、山岸敏男が『安心社会から信頼社会へ』という本で書いた現象が誰の目にも明らかになってきているという感じ。なお、「共感」という言葉の危険性として、こういう状況の変化において、排除を正当化する論理として機能しかねないことは以前に指摘した通りだ)。
である以上、本来はそこで色々な経験を積み、タイプごとの仲良くなり方やかわし方といったスキルを獲得していく必要性は高まっているのに、社会レベルでコミュニケーション方法の転換を上手くできていないため(そもそも日本語・日本社会がハイコンテクスト文化なので、どっから手をつけたらいいのかって話だが)、個人でもそういうスキルの獲得は遅々として進んでいない(というか自己責任として個人に委ねられているので大きな差が生まれる)のは、まあ驚くべきことでもないだろう。
そして現在、AIやそれに付随する技術の急速な発達が生じている(AGIなんて言葉も出てきてるわけですが)。この状況からして、どうも「暗黙の了解→熟議文化」という流れではなく、「暗黙の了解→AI的なるものへの耽溺」という方にベクトルが向き、結果としてさらに複雑性・多様性に対応できず、そこからどんどん退却する人間を増やしていくのが日本社会の未来像ではないかと思われる、というわけだ(日本はあくまで課題先進国であって、どこの成熟社会でも類似のことは起こっている)。
言い換えると、「人間同士のハイコンテクストな文化→人間同士のローコンテクストな文化」への転換ではなく、「ハイコンテクスト文化→心地よく自身を満たしてくれるAI」という方向へ進み、「ただし人間、テメーはダメだ」とばかりにノイズだらけで非合理的な人間はストレスの元ということで切り捨てるわけだ。そしてこのような傾向は、若年層のゼロリスク志向などが後押しするのではないか・・・と私には思われる。
こうしてごく一部のコミュニケーション力が高く対人スキルを様々身に着けている人と、コミュニケーションから退却傾向が進み、それでさらに対人スキルが下がって詐欺被害に遭うなどしてさらなる退却が加速する層に分かれていくのではないだろうか。
これについて、「AIから提供された心地よい妄想の世界に耽溺できるという意味で幸せではないか?」という考え方もできるが、それが成り立つのは、生涯を通じて完全に生身のコミュニケーションから退却可能な状態が成し遂げられた時だけである(だから私はAIの「進化」と人間の「劣化」の話をする時、その方向へ社会が向かうことの必然性とその理由については話すが、それが「幸福」とは一言も書かないのだ。ちなみにそういう社会が到来していない状況で対人コミュニケーションが上手くいかずルサンチマンを溜めた人間の末路が以下の通り)。
そこまでは、「ちょっとしたすれ違いを、すぐ破滅的なトラブルに発展させる人間」や「ちょっとした話術ですぐに鴨にされる人間」が増殖する中で、対人のコンフリクトは増え続けることとなり、ストレスフルな社会が変わることはないと思われる。
まあそれをでっかい話に繋げれば、社会の分断加速と民主主義の(さらなる)機能不全といった視点になるわけだけど、今のところ解決の糸口は全く見つかっていないと言えるのではないだろうか。
以上。
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