君が望む永遠:シナリオ批判

2006-03-16 20:56:42 | 君が望む永遠
君望には欠点も数多くあることを書いたが、その一つがシナリオ(特にサブキャラ)の問題である。今回は、そこまでヒドイ方には入らない「茜妊娠」ルートにおける孝之の行動について述べてみたい。

(遙と行為に及び妊娠させてしまったことについて)
展開上、また雰囲気的に自然なのは確かだが、記憶や体調がまだ安定しているとは言いがたい遙と行為に及ぶのはいかがなものか。百歩譲って行為に及ぶのがありだとしても、(ゴム持ってないのは必然的だが)避妊の努力をしている形跡すらないのは問題である。正直、この時の孝之は軽率としか言いようがない。

実はそれならそれでいいのだ。「孝之は軽率な人間だ」と理解していけばいいのだから。ならばなぜこの行動が問題になってくるかと言うと、他の箇所と明らかに矛盾するためである。数々の言動や行動、特に高熱の身体を引きずって、写真を渡すためだけに病院へ行く様子からわかるように、孝之は遙(とその体調)にひどく気を遣っている(この行為が客観的に見て有効なものだったかどうかは別の問題)。しかもその理由は、単に病人への気遣いだけではない。常に意識しているわけではないが、そこには「遙が長い間昏睡していた」という重い現実が横たわっている。そして孝之は、過去一年の間遙が存在しないと意識的・無意識的に思おうとしてきた。その意味では、孝之の認識のレベルにおいて遙は実際一度死んでいる、とさえ言える(もちろん、完全な形での忘却などできなかったが)。さらに、遙に対する罪悪感、そこから生じた義務感などが相まって、孝之の感情・行動を強く規定している。遙を慎重に扱おうとする姿勢は、このような要素から成り立っているのである(アニメを知ってる人は、孝之が遙の傷を見て思いとどまるシーンがあるのでよりわかりやすいかもしれない)。

その文脈で見れば、孝之をあそこで行為に及ばせてしまったことは、孝之の人物把握を混乱させたという意味で大いに問題であった。「そういうことも起こりうるよ」などとフォローをする人がいるかもしれないが、一般論(?)はともかく、少なくとも「鳴海孝之の文脈」には当てはまらないように思う(まあこのルートの場合、「茜とヤったのもどうなのよ?」と突っ込めるが、そちらは話の流れが微妙すぎるためあまり突っ込む価値を感じない)。つまり、行動が必然性に乏しいということである。まあ正直な話、普通のエロゲーなら「エロゲーだから多少は不自然なこともありか」という「お情け(笑)」がかかる。しかし君望は、感情の規定や構図の設定がしっかりしているため、そういった誤魔化しが通じにくくなっている。そういう意味では、他のエロゲーを批評するよりも一歩上の段階での批判とは言えるだろう。

しかし、遙妊娠という状況が生まれるきっかけ自体は強引と言えるが、そこからの展開はよくできているように思えるから評価が難しい。より端的に言えば、きっかけの描写は必然性がなく下手だが、そこから生まれた状況の描写、構図、テーマといったものは物語上重要な意味がしっかりと持たされているのだ。今思いつくものだけでも、「遙の代わり」を拒絶した水月(水月関係の過去ログ参照)と、自ら遙の記号(遙の服)を取り込んで「遙の代わり」を申し出さえした茜という構造(類似の性格・来歴を持つ二人であることに注意したい)、遙の容態を聞いて憔悴しきった茜の演技(そして「母」の役割を引き受けた茜のそれ)、目覚めない遙(遙がエンディングでも起きていないのはこのルートのみ)などである。また孝之と茜が手を取りあい、二人で遙の子を育てることを香月医師に告げるラストは、「茜昏睡エンド」や「穂村エンド」とは違った衝撃があるのではないだろうか。


こんな感じで、君望はシナリオそのものの問題をけっこう抱えている。やりたいことはわかるけど、やり方がねえ(苦笑)まあそんな具合で。しかし一方で、それが無価値というわけでは必ずしもなく、そこもしっかりと把握する必要があると思う。そういう観点で、次回は星乃ルートと蛍ルートについて書くことにしたい。

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