ダンジョン飯:感覚に訴え生々しさを担保する

2016-08-15 17:11:34 | 本関係

えー前回ので語りきらんかったのでおかわりですたい。てゆうか前のが感想の全てだとしたら、アックマイト光線か二フラムで早くこのワシを消失させていただきたいものである(あ、でも赤い雪になるのならアリだな)。

 

元々この作品を読んでいた時、人の関係についてのフラグ管理がしっかりしてんなーと思っていた。たとえば、冒頭のライオスの提案にチルチャックやマルシルが乗るのは明らかに無謀な感じがしていて、背景に何かなければとても受け入れられるものではなかった。もちろんいきなりバトルシーンから始まる本作が後々その経緯を語っていくタイプの作品であることは予測できたが、それにしても一体二人がついていく背景とは何か?そう考えていると特にマルシルに関してはライオスへの恋愛感情を想定するのは容易いわけで、そういう片鱗が描かれるのかと思っていたら、たとえば一巻の触手プレイ発言でズッコケることになる。やや浮いた一言だということもあり、おそらくこれは二人にそのような関係性がなく、ことによっては今後も成立する可能性は低いであろうという描写だろうと予測。わざわざそんな発言を挟んでくる辺りこまけーなーと思った次第。あとは色々なパーティーすなわち、助ける者たち、諍いを助長する者たち、言う事はいっぱし(いわゆる普通のRPGっぽい)だがよく死ぬ者たちetc...を登場させることによって主人公たちを相対化しつつ立体的に描写しているところもおもしろい。

 

キャラそのものの描写に関しても、この3巻だけで興味深い点はいくつもある。たとえばチルチャック。ウンディーネの件を解決した後、自分の立ち位置を表明しつつナマリをフォローするように「見返りはいらないとかぬかす奴がこの世で最も信用ならないの」という発言をしている。もしこれが、いささかほのぼのとし過ぎのライオス一行たちだけの描写なら、意図はわかるにしても少し浮いた発言と取る人たちがいるかもしれない(まあチルチャックについては、センシの傍若無人な振る舞いなどに呆れつつもパーティを抜けず手も抜かず対応してきたという実績が、全てを物語っているとは思うけど)。しかし次の回で、まさに命を賭してパーティを救う展開がくることで、彼のこの発言が彼なりの強い責任感に基づいているものだと伝わる構成になっている。このあたりは丁寧というか細かいなあと思うところ。てゆうかチルチャックかわいいよチルチャック(*´Д`)ハァハァ

 

とか言ってるとポリスメンを呼ばれそうなので(まあでも18歳超えてるのはほぼ確実だから無問題か(゚∀゚)アヒャ)、次はセシン。彼が只者じゃないのことを窺わせる描写はもう何回も出てきている。10年ダンジョンに籠っているとは言っても、あまりに世情に疎すぎることやそもそも冒険に便利な知識が様々欠落していることは不自然極まりない。オリハルコン、もといアダマントを鍋として使っていたことからもその不自然さは際立っている。おそらくは、一度描かれた絵の中の世界、すなわち元々この洞窟の世界の住人だったのではないか。記憶でも無くしているのか、あるいは何かの目的のためにすっとぼけているのかは謎である(こう考えるとオークの住処へ行くことになったのも誘導か?と勘繰りたくなるところ)。センシは・・・別に好みじゃないねw

 

最後にナマリ。てゆうか可愛すぎだろ!「アベルの大冒険」のデイジィ枠か(古い)。いわゆるツンデレみたいに見えるが、ちゃんと背景があって葛藤が生じていることを描いているのは良い(たとえば三巻の冒頭にもあるように他人を利用しようとする輩も当然いるから、義理人情=善なる心で動いても結果的に善き結果を生みだすとは限らない)。可愛いなあもう!あの鎧の中はきっとムキムキであろうから、これはもうSHDあたりから薄い本が出たら神棚に飾るしかないLVである。

 

と色々書いてきたが、この作品において意識されているのは、ある種の「生々しさ」をどのようにして担保するのか、だと思う。たとえばこの作品世界では死んでも生き返ることは可能だし、事実何回もそのような描写がなされている(蘇生魔法が失敗することもある、とはいえ)。とはいえ、これを無計画に描けば、ファリンを助けるという物語のドラマツルギーが緊張感のないものになってしまう(もっともそれは、色々なモンスターに出会うための方便にすぎない、と割り切って読むこともできるとは思うが)。

 

ところで、そのような「生々しさ」は単にリアリズムの問題に還元するのは片手落ちであるように思える。というのも、この作品の大いなる魅力である「モンスターを調理したうまそうな飯」をリアリティあるものと感じさせるためには、様々な形で感覚に訴えておく必要があるからだ(言い換えれば、飯の時の説明と画力だけで勝負しようとしても限界がある)。ゆえに嗅覚・聴覚・触覚・嗅覚に訴える描写がそこかしこでなされているわけだが、たとえばマンドレイクの絶叫(聴覚)、人魚の唄と耳栓をして聞こえないようにする描写(聴覚)、植物にイートミーされる(触覚)、触手のうねうねした感じが言及される(触覚)、ナマリが階下の飯の匂いに言及する(嗅覚)etc...と枚挙に暇がない(寄生虫による腹痛もその一環)。ただ、その点で言えば、今回やや首をかしげるというか描写に苦慮したのかと思わせる場面がある。その一つがマルシルが太ももを撃ち抜かれる場面だ。つーかこれ、もっと大量に血が出るだろ。「血まみれヤン」の悲劇を知らんのか!と思わず説教したくなったが、次の回では実際頭を撃ち抜かれて死ぬ描写があり、ここでは一応ドバっと血が出ている。まあ脳漿とかは?と思わんでもないが、グロテスクになりすぎない程度に生々しい描写にしようとバランスを取ろうとしているのだろう。まとめると、死も含めた生々しさの描写は、物語の緊張感だけでなく、飯のリアリティを担保する上でも必要不可欠だから、これが今後どのように描かれていくのか注目したいところである。また、螺旋を描くように少しづつこのダンジョンの不思議さにも言及され、作品世界の枠組みについて考えさせられる場面がいくつかあった(洞窟の侵入者=ノイズに思えたものが、洞窟内の生態系を保つためのピースとしてすでに計算されたものであることを匂わせる=洞窟内に辿り着かせることに何らかの意図・意味がある?などなど)。ここも意識していきたいところだ。

 

最後に。マルシルの耳をペロペロ&ホジホジしたいです。あとチルチャックの耳もペロペロしたいです。何?ライオス顔負けの変態だって?さてはアンチだなオメー。


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2 コメント

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Unknown (pokosuke)
2016-08-16 03:07:53
ご存知かと思いますが、ダンジョン飯から九井諒子氏の過去の作品に触れて氏の世界観にどっぷりハマったので未読であれば是非ご一読を。
星新一的というか、SF(少し不思議)な短編集が3作出てるけど、むしろダンジョン飯より好き・・・
ひきだしにテラリウムはショートショートの単行本としては完成形に近いと思う
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Unknown (カラヤン伯)
2016-08-18 01:11:20
おー、それは未読じゃけん今度探してみますわ。ワシャ星新一も筒井康隆も大好きじゃけーの。
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