満を持して中世編の感想を書いていくが、ネタバレ全開なので未プレイの人は読まないことをお勧めする。というのも、中世編とは物語で言う「転」の部分に当たり、ライブアライブでは最も重要なシナリオだからである。
さて、用意はよろしいか?
(概略)
それまでシナリオは、様々なタイプの「ヒーロー」像を描くという側面を持っていた。中世編も、始まりは今までと同じ、いやそれ以上に典型的な「ヒーロー」が描かれていると言っていいだろう。例えば幕末編のおぼろ丸や西部編のサンダウンはもちろんよく描かれるタイプの「ヒーロー」ではあるのだが、中世編のオルステッドと比べれば「日陰者」という側面は否定できない。
そんな意気揚々とした始まりにはフィールドBGM「届かぬ翼」の曲調で一瞬歯止めがかかるけれども、かつて勇者と呼ばれた男(ハッシュ)が仲間になったり魔王城に挑むなどするうち忘れてしまう。しかし、せっかく魔王を倒したと思えば実はそれが魔王などではないことがわかり、しかもハッシュは病のために息を引き取る。
この突如訪れた怪しげな雲行きに困惑して城に戻ると、物語はさらなる悲劇へと展開していく。オルステッドは王殺しの汚名を着せられ、追われる身となってしまう。その中で彼は姫の救出に向けて奔走するのだが、それは最悪の結末を迎えることとなる。すなわち、友の裏切りと姫の自殺である。これほどの悲劇と、魔王などいなかったという事実を前に、オルステッドは自ら魔王となるのであった。
(主題)
最も重要なのは、8番目のシナリオになって突然、自ら動かしていた主人公が悲劇的な形で魔王になってしまったことである。この展開をライブアライブの「転」の部分として位置づけるなら、今までのシナリオは全て伏線に過ぎなかったという見方もできる。また、オルステッドがそのような状況に追い込まれたのは明らかに彼の落ち度ではないという点も重要である(ソフォクレス的とも言える)。このためプレイヤーはオルステッドに同情し、最終編が単なる「正義vs悪」という構図ではなくなるのだ。そういった抽象的な部分に加え、自分が育てたキャラがそれぞれ魔王、「ヒーロー」として戦うという具体的な事実に、プレイヤーはどこかやりきれない思いを抱くことだろう。
それは最終編の記事で詳しく書くとして、最後の姫の行動について少し述べておきたい。あの行動が理解できたという人は、おそらく皆無に近いと思う。しかしそれこそ、演出の意図としては正しい反応だと考えられる。というのも、あの場面で重要なのはオルステッドに同情を集めることなわけだから、姫の発言は不合理なものであればあるほど都合がよいからである。それでも推測をするならば、あの姫の発言は(前に書いたように)ストックホルム症候群に由来しているのではないかと考えられる。そうすると、プレイヤーには唐突に思われるストレイボウへの同情とオルステッドへの敵意がともに説明できるからだ。もっとも、製作者がそれを意図しているかは不明。とにかくオルステッドへの同情が必要なので細かい裏設定は要らず、単に意味不明な言動で演出としては十分なのだから。
(主題2)
◎魔王などおらず、人々がいると思い込んでいただけ。そしてオルステッドは魔王となる。これはつまり、既存のRPGのように異形の怪物がではなく、人間こそが魔王だと言いたいのだろう。
◎病を押して戦い、魔王との戦いの直後に死ぬハッシュ。なぜそうまでして戦ったのかと聞かれ、「俺は勇者だからだ」と答える。おそらく彼は、世捨て人ではなく、勇者として死にたかったのだろう。人間嫌いの彼がその部分にこだわったところに、人間の感情の複雑さが見えるような気がする。
中世編で語るべきことはまだ多く残っているような気もするが、とりあえずこのへんにしておこう。次は、最終編のまとめを書きたいと思う。
さて、用意はよろしいか?
(概略)
それまでシナリオは、様々なタイプの「ヒーロー」像を描くという側面を持っていた。中世編も、始まりは今までと同じ、いやそれ以上に典型的な「ヒーロー」が描かれていると言っていいだろう。例えば幕末編のおぼろ丸や西部編のサンダウンはもちろんよく描かれるタイプの「ヒーロー」ではあるのだが、中世編のオルステッドと比べれば「日陰者」という側面は否定できない。
そんな意気揚々とした始まりにはフィールドBGM「届かぬ翼」の曲調で一瞬歯止めがかかるけれども、かつて勇者と呼ばれた男(ハッシュ)が仲間になったり魔王城に挑むなどするうち忘れてしまう。しかし、せっかく魔王を倒したと思えば実はそれが魔王などではないことがわかり、しかもハッシュは病のために息を引き取る。
この突如訪れた怪しげな雲行きに困惑して城に戻ると、物語はさらなる悲劇へと展開していく。オルステッドは王殺しの汚名を着せられ、追われる身となってしまう。その中で彼は姫の救出に向けて奔走するのだが、それは最悪の結末を迎えることとなる。すなわち、友の裏切りと姫の自殺である。これほどの悲劇と、魔王などいなかったという事実を前に、オルステッドは自ら魔王となるのであった。
(主題)
最も重要なのは、8番目のシナリオになって突然、自ら動かしていた主人公が悲劇的な形で魔王になってしまったことである。この展開をライブアライブの「転」の部分として位置づけるなら、今までのシナリオは全て伏線に過ぎなかったという見方もできる。また、オルステッドがそのような状況に追い込まれたのは明らかに彼の落ち度ではないという点も重要である(ソフォクレス的とも言える)。このためプレイヤーはオルステッドに同情し、最終編が単なる「正義vs悪」という構図ではなくなるのだ。そういった抽象的な部分に加え、自分が育てたキャラがそれぞれ魔王、「ヒーロー」として戦うという具体的な事実に、プレイヤーはどこかやりきれない思いを抱くことだろう。
それは最終編の記事で詳しく書くとして、最後の姫の行動について少し述べておきたい。あの行動が理解できたという人は、おそらく皆無に近いと思う。しかしそれこそ、演出の意図としては正しい反応だと考えられる。というのも、あの場面で重要なのはオルステッドに同情を集めることなわけだから、姫の発言は不合理なものであればあるほど都合がよいからである。それでも推測をするならば、あの姫の発言は(前に書いたように)ストックホルム症候群に由来しているのではないかと考えられる。そうすると、プレイヤーには唐突に思われるストレイボウへの同情とオルステッドへの敵意がともに説明できるからだ。もっとも、製作者がそれを意図しているかは不明。とにかくオルステッドへの同情が必要なので細かい裏設定は要らず、単に意味不明な言動で演出としては十分なのだから。
(主題2)
◎魔王などおらず、人々がいると思い込んでいただけ。そしてオルステッドは魔王となる。これはつまり、既存のRPGのように異形の怪物がではなく、人間こそが魔王だと言いたいのだろう。
◎病を押して戦い、魔王との戦いの直後に死ぬハッシュ。なぜそうまでして戦ったのかと聞かれ、「俺は勇者だからだ」と答える。おそらく彼は、世捨て人ではなく、勇者として死にたかったのだろう。人間嫌いの彼がその部分にこだわったところに、人間の感情の複雑さが見えるような気がする。
中世編で語るべきことはまだ多く残っているような気もするが、とりあえずこのへんにしておこう。次は、最終編のまとめを書きたいと思う。
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