黛灰の生前葬に参加した感想

2022-07-29 11:59:59 | Vtuber関連

7月27日は奇跡的に休業日が重なったので、引退する黛灰の生前葬を(一部ではあるが)リアルタイムで見ることができた。結論から言えば、この生前葬は時間を共有して参画することができて大正解だったと思う。翌日朝から仕事だったので通してみることは叶わなかったけれども、むしろ途中で全部を見るのを断念して動画を閉じて寝たのに、出勤前に再度見てみたらまだ配信が続いていることに驚愕し、じゃあ今誰と別れの挨拶をしているんだろう・・・と改めて続きを見るような行為もまた、先が見えないリアルタイム視聴だったからこその感覚と言える。

 

遺影の中で動く黛と、会話する様々な参列者。それぞれの「喪」への向き合い方、言い換えればそれぞれの「送り出し方」は、同時に見ていてこそ空気感まで伝わるものだったように思う。自分が目にすることができたものを挙げると、星川サラ、月ノ美兎、三枝明那、グウェル・オスガール、コーサカ、シスター・クレア、神田笑一、如月れん(登場順ではない)など。

 

ある人は感情を爆発させ、ある人はあえて笑って送り出し、ある人は微妙なすれ違いで縮められたはずの距離に嘆息する・・・一人ひとりの黛との会話が、各々の関係性を浮かび上がらせ、これまでの活動の軌跡をフラッシュバックさせるだけでなく、ある人の向き合い方が(それとは違う)また別の人の向き合い方を浮き上がらせる・・・こんなにも美しい「群像劇」を目にした記憶が私にはない(もちろん通時的ではない「記録」としてであれば、歴史史料や映像資料という形で目にしてきたけれども)。

 

ここであえてネタバレを厭わずに書くなら、私が最も印象に残ったのは間違いなく星川サラである(関係性の深さという点では三枝などの方が印象的ということになるだろうが、仕事の休憩時間にたまたま黛とのやり取りの後半を見れただけなので、責任ある評価が私にはできない)。誤解と偏見を恐れずに言えば、星川サラの「見た目」と「キャラクター性」からすれば黛とは水と油のような存在であり、仮に彼女が黛に好意を持っていたとしても、それは「クールなキャラがかっこいい」とか「ミステリアスな雰囲気に引かれる」とか、そういう表面的なものが原因だ、と思われやすいのではないだろうか(私はそもそも二人が絡んでいる場面を見たことがないので、特にその関係性に何か印象を持ったことはなかったが)。

 

しかし話を聞くに、星川が黛に最も救われたのは、彼の「飾らない誠実さ」だったと言ってよいと思う。これまでにないキャラクターとして登場した星川が、少なくない拒否反応にさらされた時、それでも単なる励ましではなく静かに「面白かった」と言ってくれた存在。それがどれだけ支えになったことだろう。黛自身は、そんな彼女の言葉にやはりというかそんなに大きな影響を与えていたとは思わなかった、といつもの様子で静かに応えるのだけれど、ここに黛灰という存在がどうしてこれほど多くの人に信頼され、慕われるのかが表れているように思う。

 

黛灰は物静かな喋りで頭の回転が速く、それゆえ「人と距離をとって輪に交わりたがらない人物」(要はクールな「キャラ」)とも見えがちである。しかし実際には、感情を強く表に出すタイプでこそないものの、それは他者と距離を取りたいからというよりもむしろ、自分の考えや感情をしっかり吟味しながら相手に伝わる言葉で表現しようとする「誠実さ」から来るものだと言ってよいと思う(この背景には複雑な生育環境なども影響していると考えるが、ここでは触れない)。

 

つまり、「感情的なのはダサい」とか「どうせ伝わらない」とか、そういう斜に構えた態度ではなく、彼なりの仕方で相手と向き合い、言葉を紡ごうとする態度がその物静かな語りにつながっているのであり、そうして誠実な言葉や行動を積み重ねてきたからこそ、彼の態度は「空気を読む」とか表面的なおべっかからは程遠いものとして、多くの人に信頼されてきたのではないかと思うのである(そして星川サラの事例はその典型ということだ)。

 

この生前葬は、彼が「誤魔化さずに向き合うこと」を続けてきた軌跡を体現したのであるという意味でも、記録以上に記憶に残る配信だったと言えるのではないか、と述べつつこの稿を終えることとしたい。

 

 

 

 

 

 


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