これは大変素晴らしい動画だ。要するに、「人食い人種」というのは、見知らぬ他者に対する差別的レッテルとして機能してきたということだな(この点、製作者が「ここで扱う『人食い』とは個人的嗜好や飢餓状態によるものではなく、慣習として一定規模の集団が実践している事例を指す」としっかり定義しているため、話の軸がブレていないのも特筆すべきだろう)。
例示の中に東アジアが入っていないので実感が湧きにくいかもしれないが、いわゆる「中華思想」や「小中華思想」というのは自己を中心として周囲を夷狄=野蛮人とみなす発想なので、私たちにとっても無縁な話ではない(それでもわかりにくいなら、例えば食す対象を犬や猫に変えて、その印象を考えてみるとよい→「バカは殺してもいいということですか?」も参照)。
しかも何が優れているかと言えば、きちんと「人食い」自体が慣習として行われた可能性が極めて高い事例も紹介されており、「人食い人種」の伝承・伝聞に対する反証をもって「いかなる文化であれそんな野蛮なことをしているわけがない」といった、今日の多文化主義・文化多元主義に沿わせるような(そこから逆算したような)結論で終えていない点だ。
人にレッテル貼りをするための「人食い人種」も、人類にそんな蛮行は存在しないとする否定説も、それがあるイデオロギー(思考の偏り)に基づいている点においては、同列の存在に過ぎない。この動画では、そのような抜きがたい偏向の性質(人間の必謬性)を念頭に置きつつも、諸々の事例や資料の集積・分析から、より実態に近い姿を構築していくことの重要性(学問のあり方)が描かれている、とも言える(批判的に取り上げてきた「ファスト教養」と呼ばれるものに欠落しているのは、こういった構えである)。
そこからさらに話を進めるならば、以下のようにも言えるだろう。すなわち、我々を船に例えるなら、その帆は認知能力や思考力といった脆弱な素材によるため、知らずその航路を違えてしまうことがしばしばある。そしてそれゆえに、史料や蓄積されたデータの分析に基づいた実証という行為が、我々の澪標になるのである、と(注)。
このように考えれば、本動画は単に1ジャンルの解説というよりはむしろ、学問を志す上でおよそ最も基本的・本質的な姿勢に関連する、極めて重要なテーマに触れたものと言えるのではないだろうか。
(注)
これに関して一つ事例を挙げれば、日本人の宗教的帰属意識=大半が無宗教を自認に関する俗論がその典型だろう。私は統計データをしばしば持ち出すが、それは「このような数字があるから、各時代の日本人はこれだけ宗教への帰属意識があった」と断言しているわけではない。「日本人の宗教的帰属意識を真摯に取り扱おうと思うなら、こういったエビデンスに正面から向き合わずして何が分析か」と問うているのである。
というのも、そのような資料も戒めも欠いた「~論」など、ただ自らのバイアスを開陳したり、信仰告白をしているだけに過ぎないからだ(もちろん、あえてそうやって自分の内的世界を掘り下げ、しかる後にその背景やその妥当性を検証するというのなら理解できるが)。
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