罪滅し編や皆殺し編以降にひぐらしを始めたプレイヤーに見られる同時代的視点の欠落というものは、歴史認識やバイアスといったより一般的なレベルにまで広げることができる。
最初からループや寄生虫の話を知っている人たちは、それが存在するかという問題から推理しなければならなかった人たちの状況を理解できない。それは、機械文明に育った人間が、機械のない生活や機械を発明していく苦労を知ってはいても理解することは . . . 本文を読む
先の「続皆殺し編レビュー批判:虚ろになった方向性」では、ひぐらしを「最初からホラーゲームだった」などと評価することについて軽く触れました。今回は、そういった見解の問題・分析を行っていきたいと思います。まずは、そういった見解に対する批判を最初に述べた2006年8月12日の記事を引用してみましょう(携帯からのアップなので省略が多いため、[ ]部分を補ってあります)。
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2月くらいに書いたものを久々に見つけ出したら、
「そんなに嫌なら自分が死ねばいいのに。あるいは人のいないところに旅立ちな。不干渉には秩序が不可欠だ。」
と書かれていた。今の状況に合いすぎだな…とまあそれはさておき、今日もまたフラグメント。
<可変的な好み>
飯を組み合わせればいいのではないのと同じように、どの飯を食べたいかは状況によって変わる。あんまし一般的ではなさそう。エスプレとインブレ。バ . . . 本文を読む
前回の「神の創造から解体へ」と繋がるものとして、今回は「虚ろになった方向性」の集成バージョンを載せることにします。内容については文自体が長いので前回のコメントを参照してもらえればと思いますが、最後あたりの嫌味な文章は、当時の自分の苛立ちが作品・作者そのものよりむしろ、「とにかくハッピーエンドになれば何でもいいやというプレイヤーたち」に対して向けられていたことをよく表しています(このあたりについては . . . 本文を読む
皆殺し編覚書で予告したように、皆殺し編のレビューは昔アップした断片的な記事の集成とそれへの簡単なコメントを載せる、という形式をとることにします。基本的に過去の原文はいじりませんが、明らかな誤字・脱字がある場合には修正をかけました。
最初は、表題にある通り「神の解体から創造へ」ですが、これは以前にも編集をかけてあるので、そこにリンクを貼った上で簡単な紹介をするにとどめます。さて、原文は「ひぐらし . . . 本文を読む
通り魔に至る過程が説明可能だからと言って、安易に一般化するのは問題だろう。ヒューマニズムには大して期待できないとはいえ、それを一足飛びに凶行へと結び付けるのは、正しくないだけでなく事態を悪化させるだけだ。スパイ映画の主人公にでもなったかのように、向うの通りから突然何か出てきて襲い掛かってくるかもと不安に思いながら進みたいか?あるいは後ろの人間の動向をいちいち気にしながら歩きたいか?それならいっそ「 . . . 本文を読む
昨日の記事で通り魔事件を安易に社会と結びつける危険性について述べた。今回は、それとは別のセキュリティの側面、つまりいかにして事故を防ぐのかについて書くことにする。
今回の事件による死者の内訳は、ナイフによる死者4名、トラックによる死者3名となっており、それゆえナイフに関する規制が今まさに話題に上っている。将来的にセキュリティが発達して、刃物の購入にIDが必要になるとしても、そもそも今回のように . . . 本文を読む
ついさっき秋葉原通り魔事件を「社会の歪み」と結びつける危険性・重要性について書いたので、次はセキュリティの側面から論じたいのだが、一部の内容がかなりアブないため、誤解のないよう独立した記事の中で自分の立場を表明するとともに、事件の直近の頃の覚書を載せておこうと思う。
「無関心と「嘲笑主義」」で書いたことと繋がるが、私は不干渉をよしとする傾向が強い。それゆえ他人からの強い干渉(?)の一種である通 . . . 本文を読む