米ソ冷戦時代の実話をもとに、スパイ交換に成功させた弁護士の物語だ。
スピルバーグはすでに「シンドラーのリスト」で現代史を切り取った映画化に成功している。
「シンドラー」ほど破天荒なストリ-ではなく、ある意味では地味な積み上げで構成していた。
それは弁護士らしく法律にのっとった事実を積み上げ、相手の信頼を獲得していく過程でもあった。
ソ連のスパイ・アベル役のマーク・ライアンスは、無機質な表情を見せながら初志を貫徹する演技を好演する。
もちろん、主役の弁護士ドノバン役のトム・ハンクスは、内面からあふれる誠実さと情熱をひたひたと表現していた。
圧巻の場面は、ソ連国境で撃墜されたU2型偵察機の操縦士とアベルとが、ベルリンの壁が建設されるなかで、ドイツの「グリーニッケ橋」で交換されるシーン。
米ソ双方の工作活動を暴露するところは冷静な視点が画面に流れていく。
そんななか、死刑の声が世論だったアベルを弁護し、捕虜交換でソ連・東ドイツと渡り合うドノバンの行動力にアメリカのもうひとつの良心を反映させるのに成功させている。
ドノバンのその後は映画ではテロップだけだったが、カストロ政権侵攻のアメリカ兵士1000人以上の解放も成功させている。
それを裏付けるルーツは、このスパイ交換事件の手腕にあったと監督はいいたいのだろう。
日本ではこうした現代史を重厚に映画化するのはまだ発展途上だと痛感する。
強いて言えば、山本薩夫の「人間の条件」とか熊井啓の「日本列島」くらいかなー。
イデオロギーからではなく人間の内面から歴史を告発・継承していくことを期待したいが。
日本の多くのメディアは、歴史というと戦国時代の勝ち組ばっかしとりあげ、現代史を回避する。
辺見庸が告発したようにメディアの体制追随の責任は大きい。
スピルバークがめざした崇高な精神で洗濯が必要な能天気日本よ、芸能情報のゴシップに魂を奪われるなよ。
(画像は東宝のパンフレットから)
スピルバーグはすでに「シンドラーのリスト」で現代史を切り取った映画化に成功している。
「シンドラー」ほど破天荒なストリ-ではなく、ある意味では地味な積み上げで構成していた。
それは弁護士らしく法律にのっとった事実を積み上げ、相手の信頼を獲得していく過程でもあった。
ソ連のスパイ・アベル役のマーク・ライアンスは、無機質な表情を見せながら初志を貫徹する演技を好演する。
もちろん、主役の弁護士ドノバン役のトム・ハンクスは、内面からあふれる誠実さと情熱をひたひたと表現していた。
圧巻の場面は、ソ連国境で撃墜されたU2型偵察機の操縦士とアベルとが、ベルリンの壁が建設されるなかで、ドイツの「グリーニッケ橋」で交換されるシーン。
米ソ双方の工作活動を暴露するところは冷静な視点が画面に流れていく。
そんななか、死刑の声が世論だったアベルを弁護し、捕虜交換でソ連・東ドイツと渡り合うドノバンの行動力にアメリカのもうひとつの良心を反映させるのに成功させている。
ドノバンのその後は映画ではテロップだけだったが、カストロ政権侵攻のアメリカ兵士1000人以上の解放も成功させている。
それを裏付けるルーツは、このスパイ交換事件の手腕にあったと監督はいいたいのだろう。
日本ではこうした現代史を重厚に映画化するのはまだ発展途上だと痛感する。
強いて言えば、山本薩夫の「人間の条件」とか熊井啓の「日本列島」くらいかなー。
イデオロギーからではなく人間の内面から歴史を告発・継承していくことを期待したいが。
日本の多くのメディアは、歴史というと戦国時代の勝ち組ばっかしとりあげ、現代史を回避する。
辺見庸が告発したようにメディアの体制追随の責任は大きい。
スピルバークがめざした崇高な精神で洗濯が必要な能天気日本よ、芸能情報のゴシップに魂を奪われるなよ。
(画像は東宝のパンフレットから)