山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

司馬遼太郎、ドナルドキーンのリスペクト対談

2016-02-10 21:39:53 | 読書
 司馬遼太郎とドナルドキーンが20年ぶりの日本論がまとめられた対談集(『世界のなかの日本』中央公論社 1992.4)を読む。
 ●織田信長時代の鉄砲の性能は世界的にも先進だったが、家康以降鉄砲生産をしなくなっていく。
 それは当時の軍備拡張の世界史の中では珍しい。

 ●多様な文化を持つ欧米では「思想」が形成されるが、日本の単一性文化では「思想」が育たなかった、という司馬に対し、キーンは、日本には多様な思想があり過ぎて、過去も現在も自分の必要性によって思想を選ぶ。
 微妙に二人の見解が違うのが面白い。

                             
 ●キーンは、「日本の伝統が形成した時代は近世だ」と断言する。
 当時の生活水準は欧米に比べて日本は清潔で高かったとするキーンに対し、司馬は、非常に貧しかったとする見解の相違が興味深い。

 ●近世日本の読書人口は世界でいちばん多かった、とするキーン。
 司馬は、実用的な「読み・書き・ソロバン」の識字率が高かった、としたが、哲学ではなく実用的というところに日本的なニュアンスを込めているようだ。

             
 ●近世文学研究者のキーンは、近松門左衛門の例をあげ、町人が主人公の悲劇小説は西洋にはありえなかった、と指摘する。

 ●「日本語は、輪郭の明確さ、質量の明快さ、本質についての明晰さを避ける」傾向があるが、それは「あいまいなほうが自他とも平和である」とする配慮を感じると司馬の指摘は鋭い。
 それは、仏教と神道とを混淆させたのは日本人の大変な才能だったが、明治以降の神道はそれを生かせなかった、と続ける。
 それにまったく気づかない神道の現状は嘆かわしいが、改革はいまだに実行されていない。

            
 ●東欧・ソ連を担ぎ上げてきた日本人で、自分の言動が間違っていたと明言する人はきわめて少ない、と二人は一致する。
 日本人の好奇心の強さは素晴らしいが、国際情勢への無関心とが対照的に同居するところも一致している。

 ●キーンは「日本の詩歌で最高のものは、和歌でもなく、連歌・俳句・新体詩でもなく、謡曲だ」と言う。
 司馬は、そういうキーンを「人と向かい合っているときは軽快で、他者に重さを感じさせない」と「あとがき」でリスペクトするところがまた素晴らしい。

 90年代に語られた対談だったが、いまなお新しい二人の世界に一つひとつ感心するばかりだった。

 
コメント
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