山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

キュウリ・インゲンの誘引を行う

2016-06-21 18:07:24 | 農作業・野菜
 昨夜から雨が降り続いていたが、お昼前に雨が止んだので、今がチャンスとばかりにキュウリ・インゲンの誘引を行う。
 無農薬のキュウリにはウリハムシという強敵がいる。
 苗が小さいとあっという間に食べつくされてしまう。 

                           
 したがって、ある程度大きくなるまでは防虫網で防御する。
 きょうはその防虫網を取り除き、竹の枝を打ち込みそこにキュウリの茎を紐で誘引する作業。
 今のところ、うどんこ病は発生していない。
 キュウリの赤ちゃんがすでに成っていたので週末頃にはキュウリの収穫が始まるかもしれない。

     
 つるなしインゲンも順調に育ってはいるが、マメコガネがけっこう葉をかじっている。
 また、支柱がなかったため倒れていたので取り急ぎ支柱を打ち込んで誘引する。
 マメ科のわりには肥料が必要なインゲンだという。

                           
 ナスやピーマンの収穫が本格的に始まる。
 きょう初めて茄子漬を食べてみた。
 食べ出すと止まらなくなる。
 新鮮な野菜が「隣にある豊饒」に感謝する。

                       
 そうして閑話休題、今日の経済政策についてオイラが注目している佐伯啓思京大教授は説く。
「新たな技術を次々と開発し、経済成長と結び付けることで人間の幸福を増大できる、という西洋発の近代主義は極限まできている」と、指摘する。
 けっきょくのところ、「国際化やグローバル化の掛け声よりも、われわれが今日必要としているのは、われわれ自身の哲学である」とする。
 それは、「西洋に起源をもつ、自由や民主主義」のグローバル化がイスラムとの衝突となり、日本もアメリカに追随した「グローバルな文明はどこか借り物であった」と分析する。
 「自由はグローバルな金融中心の資本主義へとゆきつき、民主政治は大衆的な情緒や気分で不安定に流動する」結果、「自由や民主主義の限界」が明らかになったとする(「異論のススメ」朝日新聞、葵の隠居さんからいただいた切り抜き)。


 なーるほど、「隣にある豊饒」は、利潤を産まなければ価値がないとする実態の経済。
 「隣にある豊饒」を切り捨ててしまう幸福論は、某党の選挙公約では「景気回復」と口当たりいいスローガンとなっている。
 世界の今日の混乱は佐伯教授が予想したように動いていることに刮目する。
 当たり前とされる「自由な民主主義、個人の基本的権利、合理主義と科学技術、市場競争原理」を普遍的価値とする西洋文明に対し、東洋的・日本的文明開化を構築する時代になっている気がしてならない。

                                    
 だから一方、つまらない事件が人を殺戮する。
 政治家の劣化も原発の風化もはなはだしく浸透する。  
 こういうときこそ、危ないカリスマが残念ながら出現する。
 したがって、選挙も黒子の演出通り世論操作が成功する。
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする