庭の次郎柿はもう数えるほどの少なさとなった。
昨日まではほぼ毎日、少なくとも5個は食べていたろうか。
高枝鋏の部品が取れて壊れてしまったので、昔ながらの柿採り棒を竹で作ってから次郎柿を収穫してみる。
竹の性能は高枝鋏とかわらないくらい活躍したので、高価な高枝鋏は購入しないことにする。それにしても、自然が作る柿の甘さは素晴らしい。しかし、残念ながら柿がいよいよ少なくなってきた。
近所からいただいてきた「百目柿」の大きさと重さに感嘆する。百匁は375gというが、重さがまさにそのくらいなのだ。この柿は甘いのも渋いのも混在するらしい。山梨でよく見るデカイ干し柿は「甲州百目」。
近所にはこの百目柿をはじめ柿を採ったり食べたりする人間がいない。だからたわわとなった柿の風物詩が見られるが、それを喜んでいいのだろうか。それは息絶え絶えの山里の不整脈の象徴のように思えてならない。
まずはこれらの柿で柿酢を作ったりしてムラ起こしができないだろうか、と考えてみる。