昨日の散策会で奥山の集会所の隣にいくつかの石造物が目立たないようにあった。
いちばん背が高い板碑には、「徳満院・涼風・道閑・居士位」と戒名が印刻してある。
順番に、「院号」=社会貢献した人に与えられる、「道号」=仏道を修得した人の呼び名、「戒名」=仏の弟子になったことを表す、「位号」=性別・地位・尊称、の4つに分けられる。
これらの刻印からきっとこの石碑のかたは地域で尊敬された有徳の男性に違いない。
寺院にとっては、葬式とこの戒名付与が残念ながら、寺院経済=葬式仏教の基盤ともなっている。その高い経費に不満と怒りをたびたび耳にする。僧侶はそれを当たり前として受け止めているのだろうか。
その隣には、右に「明治34年10月再建」、左に集落名の「下茶組中」の刻印がある石像が佇んでいた。こうした童女の僧形石仏は今まで見たことがない。石仏の写真集でも見当たらない。
道祖神なのか、安産=豊作祈願観音なのか、馬頭観音なのか、わからない。
いかにも民間信仰らしく庶民的で好感が持てる石仏だ。
さらにその隣には、六地蔵が並んでいた。廃仏毀釈を免れたのだろうか損傷はほとんどないが、苔むして持ち物や表情はわかりにくい。
集落が無くなる存亡の危機にある地域の現状をお地蔵様はどのように見ていらっしゃるだろうか。貧しいけれでも生活できたむかしの山暮しから比べると、今は集落そのものが成立しなくなる危機にある。それで豊かな地域・豊かな人間が形成されているというのだろうか。
宗教の在り方はもちろん、政治も自治体もマスメディアも人間も、新たな「ルネッサンス」が求められていることを痛感する。