近所にお宮がある「天王の森」に行ってみる。むかしは神社林があり子ども心には怖かった森だったという。今では茶畑が占めているが、ここ数年茶畑や竹林も伸び放題となってきた。つまり、神社林も経済効率の対象となり森は消えたが、今では森自身が再生しようとしているというわけだ。
遠くを見ると、眺望は360度の山並みに囲まれている。どこを見ても杉林に制覇された森は相変わらず変わらない。山や森を市場にしてしまった。投資の対象にされた山や森は本来の多様性を放擲された。だから、森の持つ豊かな価値は一部では強調されても林業政策そのものには抜本的に変わらない。しかも、大臣の不祥事がどういうわけか農林関係者に多いのはどういうわけだ。
この慎ましやかな山里のたたずまいの静謐は、コロナに翻弄されている都会からは削除されている。あらためて、資本集積のための都市集中の破綻は明らかになった。コロナ対策にしても地球温暖化・IT支援・電気自動車にしてもいつも後手後手になってしまう日本の現状はどういうわけだろう。その点では、矛盾を抱えながらもEUの哲学はスケールが大きい。目先の利益ばかり追う日本のポリシーの貧しさばかりが最近浮き彫りにされてくる。
そんななか、「天王の森」のお宮の前をきれいに整備したり、茶畑を香花・シキミに変えたり、地元の動き方も徐々に変わりつつある。その努力が次の地域を育てていくステップになっていくことを願ってやまない。