今回の年末年始は、近隣からいただいた野菜たちで食欲を満喫した。イノシシが荒らした畑の野菜はことごとく失敗、秋後半に新たに植えたものの生育は悪い。それを知ってか、近隣から余った野菜を次々持ってきてくれたのだった。いただいた小豆はお汁粉にして食べ放題の主食に。そこに磯辺焼きを添える。そして、畑で何とか生き延びた赤大根「くるり」とレタスを収穫してサラダにして副食。
そしてある夕方、段ボールのなかに大根・赤大根・ネギ・白菜が詰めてあり、底に大きいミカンが入れてあったそれが玄関先に置いてあった。そこに添えてあった手紙はじつに心のこもったものだった。その前後に、違う農家からも小松菜・水菜・春菊などをいただく。おかげで、野菜を買うことなく毎食野菜を食べられる「身分」となった。ありがたい。毎回手を合わせていただく。
地域のつながりがあれば、餓死しないで生きていける。コロナでますます人間の孤立が顕著になっていくが、それを解決していくのが人間のつながりだ。だから、「空間は過疎につながりは過密に」というシステムを田舎は本質的に選んだのかもしれない。