国道の法面は雑草の荒野だった。毎年灼熱の夏に集落として草刈りをやってきている。しかし、法面はかなり急峻であること、その担い手が高齢者ばかりになってきたことなどから、作業の存続が危惧されていた。そこで、低木や草花を植えていって雑草面積を少なくしていこうと提案してきた。しかし、その土壌は瓦礫ばかりで土そのものが少ないのでなかなか育たない。
紫陽花がやっと花をつけるようにもなってきたが、新しく植えたドウダンツツジが青息吐息だった。そこで、周囲の雑草を刈り取って肥料を周りに撒いていく。
また、土壌が流れないよう近くの竹林から竹の支柱を伐ってきて土留めの支柱を打ち込む。そこに、長い竹を横に敷いて固めていく。予算ゼロでありあわせの資材を投入する。一人でこれをやり抜くにはそれなりの覚悟がいる。そこが揺らいでいたとき、地元の大工さんが隣の河川の整備をひとりでやり始めたのだった。それがバネとなって作業がスムーズになったのは言うまでもない。
法面には、空き缶が投げ捨てられていたり、ビニール類が散乱していたりしていたので、それらも回収していく。肥料袋が風で吹き飛ばされてゴミになっているのも無視できない。今できることを粛々とやることがコロナがあるなしにかかわらずいちばんと思いいたる。
また、アフガンで殺された中村哲さんの強烈な意志力を想い出す。それに比べれば自分の意志の薄弱さが露呈する。とにかく続けること、止めないことだ。実際、小さな紫陽花が大きな花をつけてきたではないか。これに確信を持つべきなんだな。そうだ、自分のためにやっているんだということを忘れてはならない。