山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

連判状を取り戻した仁木弾正の妖術

2021-01-20 23:00:20 | アート・文化

 歌舞伎座の去年のカレンダーの最後に、仁木(ニッキ)弾正が連判状を取り戻した浮世絵があった。「見立十二支」の十二枚のうち、「子(ネズミ)」の出番となっている。絵師は「一勇斎(歌川)国芳」、版元は「角金」、彫師名人は「彫巳の(ホリミノ)」、嘉永5年(1852年)の発行。最近、静岡市や浜松市の美術館でも武者絵や骸骨絵で有名を博した「国芳」ブームもあり、没後150年を記念した特別展も開催された。

 歌舞伎としての題材は、伊達騒動を裏テーマにした「伽羅先代萩(メイボクセンダイハギ)」。悪人仁木弾正(五代目市川海老蔵)が暗殺を誓った血判状を取り返したとき、床下で警護していた「荒獅子男之助(八代目市川團十郎/画像右側)」が鉄扇で向かいあい、それで弾正の額を撃つとネズミの妖術が破れ弾正の姿が現われるという有名な場面である。

 弾正の衣装も注目だ。鼠地の衣装はもちろん、そこに高麗屋の「四つ花菱」の家紋をあしらっており、それは当たり役の弾正役で人気があった五世松本幸四郎への敬意による。

 ちなみに、弾正は仙台藩の重臣・原田甲斐がモデル。山本周五郎の「樅ノ木は残った」では、原田甲斐は藩を守った功労者として描いている。

  

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