なんとなく、柳美里(ユウミリ)の『JR上野駅公園口』(河出書房新社、2017.2)を読みはじめた。たまたまオイラは、「東京キッドブラザーズ」を旗揚げする前の、ピュアな瞳と言葉を持つ東由多加を何回か見たことがあるが、柳さんはその劇団にかかわっていた。本書を読み始めてその感性溢れる文章に芥川賞作家の片鱗に触れた気がした。だが、読み進めていくと、ストーリー性が見えなくなったり、これはエッセイなのかポエムなのかと思ったりした。とはいいながらトータルでみると、生きることの危うさ、生きる拠点を築く困難さが随所から伝わってくる。
作者は、上野公園という磁場で天皇行幸があるために「山狩り」されるホームレスの状況を「警告書」「張り紙」などから鋭く取り上げる。また、解説の原武史氏は、戦後史に翻弄される主人公と戦後ますます強まる「天皇制の<磁力>」のなかで、震災と原発被害の<フクシマ>が忘却されていくことを憂慮しているが、それが底流として流れているのがこの作品だと評価する。
政治思想史の専門家としての解説は確かにそのとおりではあるが、作者の生きていることのやるせなさとか、不条理とか、さらには居場所をなくした人への思いとかの解説をもう少し展開して欲しかったが、しょうがないのかなー。
その意味では、作者が鎌倉から福島の警戒区域だった南相馬市に住居を移し、「フルハウス」という本屋を開店している。被害地区の中の住民どおしの葛藤をここで洗える場になればと願っているという。そういうところにも作品だけでなく作者の本気度も示されているし、作者と東由多加とのつながりも納得がいく。
かつての東京オリンピックの工事で出稼ぎにきた来た主人公は、今度はホームレスになって公園に戻ってくる。上野駅は東北と東京とを結ぶ人生の結節点だった。過去の賑わいと今の混沌とはどれだけの差があったのだろうか。ささくれだってしまった心の安息をかつての経済成長してきた過去は果たして満たしてくれたのだろうか、そんなことを考えさせられる小説だった。