山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

6月の尾上ガーデン② 2016

2016-06-20 21:43:50 | 植物
 セロリに似た香りがする「トウキ」(当帰)の花が咲いていた。
 いかにもセリ科らしい小さい白い花だった。
 江戸時代の藩では製薬材料の特産品として推奨されたという。
 婦人の産後の要薬としていまも利用されている。

                          
 茎に葉が輪生している姿から「クガイソウ」(九階草)という。
 根を乾燥させてリュウマチや関節炎の薬にしている。
 若葉は山菜として食べられる。

              
 公園や個人の庭でよく目にする「キンシバイ」(金糸梅)は、初夏から夏を知らせる花だ。
 はじめは「ビヨウヤナギ」かと思っていた。
 しかしビヨウヤナギのオシベは花から飛び出すほど長い。

   
 ドナウ川のほとりに咲いていたこの花を採ろうとして水中に没した騎士が、彼女に「forget me not」と叫んでこの花を投げたという有名なお話しがある花。
 物語がある植物はうらやましい。

 尾上ガーデン、春と並んでいまが見どころ。
 本人は耕作放棄地の活用や若者支援も精力的に取り組んでいる。
 
 
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尾上ガーデンの夏2016

2016-06-19 20:55:26 | 植物
 「オープンガーデン」をやっている「尾上ガーデン」の夏はにぎやかだ。
 入り口すぐにキキョウ状の花が満載の「ハタザオキキョウ」が迎えてくれた。
 「ソバナ」にそっくりだが、葉柄が極めて短いのがハタザオキキョウだそうだ。
 ヨーロッパ原産の園芸植物だ。

                          
 秋の七草のナデシコといえば、本来この「カワラナデシコ」だ。
 最近は河原の環境変化で絶滅危惧種になってしまった。
 「カワラ」がつく多くの動植物は絶滅危惧種になってしまったという。
 その意味では、この庭に存在すること自体が貴重だ。

        
 ときどきよその庭で見られる「ミヤコワスレ」は、佐渡に流された順徳天皇がこの花を見ると都への想いが忘れるほどだったという話による。
 花の色も多様に開発されているようだ。

 
 暗い湿地に咲いていた「カキラン」を発見。
 名前の通り「柿色」の蘭ということで分かりやすい。
 エビネの仲間。

                            
 庭内のグリーンカラーのなかでひときわ目立ったのが、「マツモトセンノウ」の朱色の花。
 「センノウ」とは、京都嵯峨の仙翁寺にあったためらしい。

 まだまだいっぱい花が咲き乱れているので、いまが散策するチャンスでもある。
 同時に、これだけの庭を管理・創造していく尾上さんの志の高さに学ぶチャンスでもある。
                       
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あじさい寺を楽しむ 

2016-06-18 20:46:37 | 旅行・散策
 むかし鎌倉のあじさい寺に行ったことがあるが、人が多くて閉口したことがあった。
 今はもっと人が殺到している。
 そんなことを思うと、地方のこじんまりした寺でじっくりあじさいとつきあうほうがいい。

                          
 ガクアジサイ系のあじさいは多様だ。
 もともと日本原産のあじさいはガクアジサイで、それが西洋で改良され逆輸入されている。
 その意味では、ガクアジサイは基本種となる。

   
                          
 中央の小さな花とまわりの装飾花とのバリエーションが見どころだ。
 同時に、葉の大きさや照り具合や色を観るとさらにそれぞれの違いが見えてくる。
 品種の同定も好奇心をそそるが、多様であることがわかればそれでよしとしよう。

 
                          
 わが家にも挿し木で育てたあじさいが次々花を咲かすようになってきた。
 数年後にはあじさいの花々が畑や荒れ地に回廊のように出現するという皮算用なのだ。
 ススキの根をしこしこ掘り上げて、そこにあじさいとカエデを植え付けているのもそのためだ。
             
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アジサイ寺に初めて闖入する

2016-06-17 21:09:05 | 旅行・散策
昨日はひょいと森町の「あじさい寺=極楽寺」に道草する。
 狭い境内に13000株のアジサイがぎっしり咲き誇る。

                         
 アジサイの品種はよくわからないが、「カシワバアジサイ」はわかりやすい。
 はじめて出会ったときはアジサイの仲間には見えないくらいのアジサイの異邦人。

        
                           
 北米産の「アナベル」だろうか、白い手毬状の清楚なアジサイ。
 よく見ると微妙に違いがあるのだけはわかる。

        
 紫の装飾花に白い縁取りがある「フロウ・タイコ」。
 この白さが際立つ。
 アジサイや境内を管理している方と多岐な話題で話し込む。
 70代半ばの方だったが精悍な作業員であるとともに前料理人でもあった。
 黒子役に徹しているが輝いている。

                             
 装飾花の縁が内側に反り返っている「ウズアジサイ」。
 ざっと見てしまうとみんな同じように見えてしまう。
 とりあえず、手毬状のアジサイに登場してもらった。

 きょうは終日草刈り。
 やっと歩きやすくなるとともに、次の畝づくりのスタートができそうになった。
 涼しい風が流れる汗を冷やしてくれた。 
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地すべり現場はいよいよ第三工期へ

2016-06-16 21:26:56 | 風景
 2013年に発生した町内の地すべり現場は、いよいよ第三工期に着工する。
 てっぺんから川まで約150m、傾斜が50度、国道から見える壮観な風景に自然のなせるダイナミズムにハッとさせられる。

                           
 下層の川の補強工事が終わり、上部の補強も終わり、残るは真ん中の工事に移行する。
 いつかは灌木と雑草に覆われて地すべりがあったことさえも忘れ去られてしまうかもしれない。

 この自然の持つ二面性は日本人の世界観を形成してきた。
 日本の神話の世界でも、神は悪さもするしいたずらもする。
 しかし、一神教は神は絶対で誤謬はありえない絶対的存在だ。

      
 日本には神や仏に対する相対性や自然や人生に対する崇敬と諦観など、人間は自然の一部であるという謙虚な生き方・宗教観が底流としてある。
 ただし、宗教はいつも政治に利用されてきたのは昔も今も変わらない。
 いつのまにか結果的に政治に利用されてしまっていたり、いっぽうでは葬式仏教の限界をいまだ打破できない渦中にいる。

 そんな課題を持ちつつも、粛々と自然を補修する日本の土木技術も注目していきたい。
 
 
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終日ジャガイモを収穫

2016-06-15 20:56:46 | 農作業・野菜
 空をちょいちょい見ながらの一日だった。
 梅雨の間のわずかな曇天だったが、陽射しが暖かい。
 明日は雨なのできょうのうちにジャガイモを収穫することにする。
 きょう一日で買い物かご5~6杯分のジャガイモを掘り上げる。

        
                        
 掘り上げたのが遅かったため、太陽に当たってしまったものやネズミらしきものにかじられたものなどもあった。
 品種は、メークイーン・ダンシャク・十勝こがねの3種類。
 男爵と十勝こがねは似ていて見分けがつかない。

    
                         
 一部の畝では連作障害が出ていた。
 連作障害防止の「菌の黒汁」を撒いたが回数が不足していたようだ。
 ジャガイモの表面がすべすべであるはずが、連作障害の表面はシミがありザラザラなのがわかる。

 シャワーを浴びて一日分の汗をすっきり流す。
 テレビでは舛添都知事の辞任が決まった。
 日本の政治家は相変わらず世俗的世界から抜けられない。
 職人国家日本は、哲学を持ったベネズエラ前大統領「ヒムカ」のような政治家が形成されないのはどうしてなのだろうか。
 
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ナス・ピーマンを初収穫

2016-06-14 19:53:59 | 農作業・野菜
 朝から一日中霧雨が止まない。
 そんななか、ナス・ピーマンについているカメムシを捕獲する。
 それぞれの実を見たらほど良い大きさだったのでさっそく初収穫。

                         
 すぐ調理したいところだったが、歯医者に行く用事があったので断念。
 カラーピーマンはまだ結実していなかった。
 ナスの一部の葉が病気にやられて元気がないのでやや心配だが、実はできている。

       
 1本だけ残っていたサニーレタスがだいぶ伸びきってしまったので、それもついでに収穫。
 この畝でできたレタスは食べきれなかったのでずいぶん知り合いにおすそ分けした。
 今回は珍しく9割がた成功して収穫することができた。

 畑ではスナップエンドウがそろそろ終わり、キャベツはしっかり結球できている。
 ぽつりぽつりと食べさせてもらったイチゴも終わる。

 
 
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被災地・過疎地と障碍者をつなぐカリントウ

2016-06-13 19:54:22 | 特産品・モノ
 ジャーナリスト斉藤茂男のルポルタージュにはいつも心を動かされてきた。
 「父よ母よ」は映画化もされた。
 彼が平成11年に亡くなっていたのを最近知る。
 しかしそんな彼が提起した足跡は大きなニュースにはならなかった。

 そんなわけでせめて、深夜・早朝のドキュメンタリー番組をちらりと見るようにしている。
 そこに登場したのが東北大震災で被災した宮城県女川町のカリントウ工場だ。

                        
 瓦礫に残されたカリントウのミキサーを発見して、社長は知人を頼って鳥取で工場を立ち上げる。
 今では40人の障碍者を雇用して、パンも商品化している。
 さらに、故郷の女川町でもカリントウ工場を最近再開にこぎつけた。
 
 こうして番組を見てさっそく取り寄せたのが、カリントウセットだった。
 不揃いで平べったいカリントウだが味はしっかりしている。
 おやつについつい手が出てしまって止まらない。
 舛添都知事にならって「かりん党」党首の座は渡さないぞ。
 
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薬草満載の散策会

2016-06-12 20:51:02 | 旅行・散策
 雨が心配されていた森林散策会だった春野町静修地域は真夏が来たような晴れだった。
 「春野いきいき天狗村」に集合して、樹齢100年というヤマザクラのある元分校・禅寺をめざす。
 近くの県道には、花穂が生薬になるという「ウツボグサ」(シソ科)の見事な群落に出会う。

                       
 フィトンチッドが飛び交う森のトンネルを歩くと、「ハナイカダ」を発見。
 葉の上の緑色の花は終わっていたが緑の実がなっていた。
 この葉を乾燥させると下痢止めの効能があるという。
 若葉は山菜となる。


 そのすぐ近くに、葉が青みがかった「コンテリクラマゴケ」(紺照鞍馬苔)の群落もあった。
 京都の鞍馬山で最初に発見されてコケ状に生育するので「クラマゴケ」の名がつく。
 本種は中国原産で園芸植物として導入されてそれが野生化したという。

   
 また珍しいシダを発見。
 「ヒトツバ」というシダに似ているが、葉の裏表にツヤがあり、栗の葉に似ているので「クリハラン」という。
 単葉で直立している様は舞台でダンスをしているかのようだ。

               
 春に咲いた「セリバオーレン」(芹葉黄蓮・キンポウゲ科)の花がまだ白くなって残っていた。
 根茎を乾燥させて漢方の整腸薬として使用する。
 根茎を切ると黄色の断面が見られるのでオウ(黄)レンという。

  
 途中で、「サルトリイバラ」の見事な実の連鎖を発見。
 しかもよく見ると、怪しい毛虫もついていた。
 これはどうやら、サルトリイバラを食草とする「ルリタテハ」の幼虫のようだ。

 今回のコースは漢方の薬になる植物が多かった。
 さらには、静修トンネル前で珈琲を提供し、また地域づくりを貢献している大脇さんの家を発見したのも収穫だった。     
 


 
 
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梅もぎ日和

2016-06-11 20:49:57 | 出会い・近隣
 梅雨の候を忘れる好天のきょう、梅もぎに出かける。
 午前中は30代の若手主婦と幼児を中心に作業をし、午後は川遊び。
 むかし若手のわれわれおじじは、午後にその残りを収穫する。
 年齢的には梅干しというより梅シロップづくりになりそうだ。
 梅の提供にみんな感謝。

                  
 いまNHKで「不寛容社会」を放映しているが、従来の空気とは違う「異変」が社会を侵攻しつつある。
 学習ノートの表紙に昆虫を載せるのは気持ち悪い、というクレームがあって販売停止となる過剰反応社会。
 前々から「ツイッター」の短絡的な思考停止内容には危惧していたが、案の定だ。
 自由に意見を述べることはいいが、自分なりに吟味した内容が求められる。

 こうしたなかで、きょう集まった老若男女の自由なつながりはこれからの新しい地縁を形成する予感がする。

                     
 同質性を強要する委縮日本はどういう社会に向かうのだろうか。
 「サルナシ」と「キウイフルーツ」の違い。
 「他者への想像力」がこれからの地域・不寛容社会を拓いていく気がしてならない。  
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