17歳の肖像
2009年/イギリス
知識の質
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
この作品のタイトルが「教育(原題)」とされている理由は、結局教育というものが主人公の高校生ジェニー・ミラーだけではなく、生きている限り誰でも必要とするものだということのみならず、教育で得た知識というものが同じであると同時に違うものだという複雑さを強調したかったからだと思う。
例えばチェロを抱えたまま雨が降る中、バスが来るのを待っているジェニー・ミラーのそばに車でデイヴィッド・ゴールドマンが近づいてきて車に乗るように声をかけ、その時チェロやクラシック音楽に関する知識をジェニーに披露する。ジェニーは同じ知識を共有できるデイヴィッドに心惹かれるが、ジェニーとデイヴィッドが共有している知識は同じものではあっても質が違っている。勿論ジェニーの知識は好奇心でもって学んだものであるが、デイヴィッドの知識はお金になるかならないか確認するために得たものである。
ジェニー・ミラーの不得意な科目がラテン語であるというのも象徴的である。何故ならラテン語はお金にはならない知識だからである。その知識の質の違いがまだよく分かっていなかったジェニーがデイヴィッドの華麗な教養と生活に魅了されて学校を退学してしまうことは若気の至りとしてやむを得ない。
だからジェニーが路頭に迷ってスタッブズ先生の家を訪ねた時は驚いたはずである。何故なら‘死んでいる’ように見えていたスタッブズ先生が本に囲まれた、まさにジェニーが理想としていた生活を送っていたからである。
デイヴィッド・ゴールドマンが車のダッシュ・ボードなどに夫婦の手紙を入れておくことがありうるのか疑問を抱いてしまうのだが、それ以上にこの作品の日本語字幕に疑問を感じた。「Traveling Jew」や「Blindness」などが上手く訳されていなかった。念を押しておくがこの作品のタイトルは「教育」である。
今だから“バラエティー発” 石橋貴明が語る映画「矢島美容室」(産経新聞) - goo ニュース
テレビのバラエティー番組の映画化は悪くはないと思う。「日本人の父親は失踪、
アメリカ育ちの娘2人が父親を探して来日し、桜を見て自身に流れる日本人の血を
認識する」という“矢島美容室”の3人のキャラクター作りも悪くはなかった。しかし
実際映画の中で描かれているメインの場面はストロベリーがリーダーとして参加して
いるソフトボールチームの試合であり、父親はワンシーンしか出ていないために、
父親が失踪した理由など観客が知りたいことは全く分からないまま終わっていた。
“しっかりしたベース”があっても、そのベースを活かさなければ意味がないと思う。