慕情(1955)
1955年/アメリカ
残酷な‘蝶’のテーゼ
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
邦題の‘慕情’は決して悪いものではないが、やはり‘慕情’として観てしまうと主人公のハン・スーインとマーク・エリオットの2人だけに目が行きがちになり、月並みなメロドラマにしか見えなくなる。しかし原題の通りにこの作品は愛の素晴しさ(Love Is a Many Splendored Thing)を描いたものである。
冒頭から医師として香港で働いているハン・スーインは中国から逃れてくる人々のために尽力している。医療費の代わりに息子を売ろうとする女性に対して無償で女性の夫の治療を約束して、車に轢かれて怪我をした孤児の幼女を自ら引き取って育てることまでする。
夫を失ってから献身的に働いてきたハン・スーインの心を開いた男が特派員のマーク・エリオットである。彼には妻がおり、イギリス人と中国人のハーフであるハン・スーインとアメリカ人のマークとでは困難が予想されたが、2人が重慶に戻って親戚と話し合った結果、2人の結婚は快く了承される。その時ハン・スーインは同じように外国人と付き合っていた妹のためにパスポートを手配する。
勤めている病院の理事長の意向に逆らって、マーク・エリオットとマカオへ旅行に行ったことが
原因でハン・スーインは病院を辞めさせられるが、中国へ戻ることはなく友人宅に身を寄せながら、朝鮮戦争の取材へ行ったマークの帰りを待っていた。しかしマークは帰らぬ人となり、それを知ったハン・スーインは2人が再会を約束した丘の上へ向かう。
この作品は決して2人の主人公の愛だけが描かれてわけではなく、ハン・スーインがかかわる人々と彼女との愛の有様が淡々と描かれ、それが原題の真意であると思う。
最後にこのレビュータイトルの意味を説明しておく。例えばマーク・エリオットが無事に帰ってきていたら2人は幸せになれたであろうか? 勿論それは誰にも分からないことではあるが、マークが離婚できるのか、2人の国籍の違い、あるいは職業の違いによって生じる困難、ハン・スーインの養女と2人の間に産まれる子どもとの関係など2人の前途は全く楽観できない(実際その後の原作者の人生を見ても想像できる)。蝶はこの作品内で3度現れ、いずれも掴まることなく飛んでいく。蝶は飛んでいる姿を見る限り美しいものではあるが、もしも掴まえてしまうと翅を傷つけて死んでしまうであろう。つまりマークは死んでしまったがために、全ては美しい想い出となったわけであり、帰ってきてしまったら(つまり‘掴まえて’しまったら)‘愛’は間違いなく傷ついてしまうということである。ラストで見ることができる限りなく美しい丘のシーンは、その背後に隠されている残酷な‘蝶のテーゼ’でもって成り立っているのである。
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インターネット上で小沢一郎が人気がある理由はただ単にジャーナリストの上杉隆
が一人で頑張っているからだと思うが、それにしても昨日の新聞紙上における
“反小沢キャンペーン”は凄まじいものであった。週刊文春の「小沢一郎と青木愛
『京都の密会映像』」、週刊新潮の「『小沢一郎』総理ならば日本は壊死する!」
だけではなく、西部邁までが自著に「小沢一郎は背広を着たゴロツキである」という
タイトルをつけて“キャンペーン”に参加(便乗?)している。低レベルの二者択一なら
ば一層のこと日本がこの“ゴロツキ”によってどのように“壊死”するのか見てみたい
というのがネットユーザーの気持ち