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 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

評論を読まずに「映画評論家へ逆襲」する人々について

2021-12-23 00:57:33 | Weblog

 たまたま書店で『映画評論家への逆襲』(荒井晴彦、森達也、白石和彌、井上純一共著 小学館新書 2021.6.8)を見つけて、かなり期待しながらページをめくってみたが、実際に映画評論家へ逆襲しているのは最後の第七章だけで、他はミニシアターにおけるトークショーをベースに書かれている。他の章も面白いのだが、ここでは第七章を取りあげてみたい。

 『スパイの妻』(黒沢清監督)は第44回日本アカデミー賞では黙殺され、第94回キネマ旬報ベスト・テンでは1位になり、2020年映画芸術ワーストテンでも1位になるなど毀誉褒貶の激しい作品である。『映画芸術』の編集長である荒井晴彦は以下のように言及している。

「小林多喜二の虐殺や『ゾルゲ事件』のように特高は甘くない。東出昌大の憲兵は高橋一生や蒼井優をすぐ釈放している。尾崎秀美やゾルゲは特高が逮捕している。大体、スパイ容疑なら特高が出てくるのでは、とか人体実験の映像を誰が撮ったのかと、首をひねるとこが多いから。蓮實重彦さんは黒沢清と脚本の濱口竜介との『文學界』の鼎談で、憲兵の頭が坊主じゃない、制服がカーキ色じゃないと指摘して、『ああ、そうか、これはやっぱりどこでもない場所の話なのか』と納得した次第ですと言い、黒沢も、はい、その通りです、と言っている。脚本のファーストシーンには、字幕『一九四〇年神戸生糸検査場』と書いてあるし、映画でもその字幕が出てくる。『どこでもない場所』という字幕を出すべきだったのではないか。それに教え子の映画を先生が傑作というのは党派性じゃないのかな。」(p.229)

 個人的には『スパイの妻』は傑作と言ってもいいと思っていたが、上のように言われれば確かにその通りではある。「教え子の映画を先生が傑作というのは党派性じゃないのかな」というのも全くその通りなのだが、教え子の作品まで貶してしまうと、蓮實は日本国内には仲間がいなくなってしまうという同情の余地はあると思う。
 『罪の声』(土井裕泰監督 2020年)でも問題として扱っているのが時代考証なのだが、基本的に観客は制作者を信用して観に行くのだから、まさか事実と違っているとは思わないだろうし、わざわざ疑ってかかりながら観賞することもないだろうから、そんな作品が日本アカデミー賞の優秀作品賞を獲ったとしても観客としてはどうしようもないと思う。

 荒井は以下のようにも語っている。

「わかんないから『映画芸術』とかを読んで、また観に行って、それでもわかんないんだけどね(笑)。ベルイマンとか〈神の不在〉って言われると全然、わかんなかったな。だけど、わかんなくても、食いつこうとして、わかろうとしてお勉強はしたよ。そういう映画の本を読んだり。松本俊夫の『映像の発見』と大島渚の『戦後映画・破壊と創造』がバイブルだった。今はそういうことをしないんだな。」(p.282-283)

 現代の若い観客が映画を観るために「お勉強」する暇は無いと思う。それは若者が怠惰だという意味ではなく、4人と比べるならばアーカイブ作品の量が多すぎる上に、公開される新作の数も多すぎて、「お勉強」しようとするならば映画オタクにでもなる以外にない。何よりも日本においては、例えば、国語の授業で小説の読み方を学ぶことはあるが、映画の鑑賞の仕方など教えることはないのだから、SNS上で誤解が瀰漫することは致し方が無いのではないだろうか。
 それならば、例えば「お勉強」のために彼らが蓮實重彦の本を読んでいるのかといえば、さすがに荒井は読んでいるようだが、井上も森も白石も読んでいないというのである(p.247-248)。蓮實の本を一冊も読んだことがない人たちが「映画評論家への逆襲」というタイトルの本を出版してしまい、日本の映画業界の悲惨な現状を図らずも自ら晒してしまったという感じなのである。せめて映画制作者には松本俊夫と大島渚の代わりに蓮實重彦と加藤幹郎は読んでいて欲しいものではある。
 因みにこのタイトルに惹かれて読んだ読者ならば、重政隆文の著書をお勧めしたい。

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/postseven/trend/postseven-1672254


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