『ABC殺人事件』を読んでいてもう一つ気になったことを書いておきたい。
それは『名探偵ポワロ ABC殺人事件』のレビューで取り上げた場面と同じなのだが、ポワロが容疑者のアレグザンダー・ボナパート・カストが所有していたタイプライターに指紋が残っていたと指摘されたフランクリン・クラークが発した言葉である。
クラークはちょっとのあいだ身じろぎもせずに座っていた。それから言った。
「赤、奇数、負けだ! あなたの勝ちだ、ムッシュー・ポワロ! だが、やってみるだけのことはあった!」(『ABC殺人事件』 p.397 クリスティー文庫 堀内静子訳 2003.11.15)
因みに原文は以下の通り。
"Clarke sat quite still for a minute, then he said: "Rouge, impair, manque!—you win, M. Poirot. But it was worth trying!"
この「赤、奇数、負けだ!」というセリフは一体どういう意味なのか? 『ABC殺人事件』は1935年に最初の翻訳が出版されて以来多くの翻訳者によって訳されているのだが、ここは同じ訳で通されているのだと思う。改めて考えてみたい。
ポワロはフランス語を母語とするベルギー人であるが、フランクリン・クラークは骨董品収拾のために世界中を飛び回っている英語を話すイギリス人である。
「赤、奇数、負けだ!」は以下の図で分かるようにフランス発祥のルーレット用語であり、使用されている言語はフランス語である。
上の図を見て分かるように、クラークは「赤、奇数、1~18!」と叫んでいるのだが、何故「黒、偶数、19~36!(Noir, pair, passe!)」と叫ばなかったのか?
クラーク(つまりクリスティー)は「ABC」というアルファベットにこだわって人殺しをするくらいだから、「赤、奇数、1~18!」という言葉にもこだわっていたはずで、英語化したフランス語として試訳するならば「赤っ恥、しくじり、負けた!」とし、言葉の右に「ルージュ、アンペール、マンク」とルビをふればいいと思うのである。