「19秒で世の不正を完全抹消する」という惹句を正確に捉えるならば、19秒内で素早い行動を起こして敵を倒すというよりも、行動を起こす前に目視で得た周囲の情報を収集した後に、19秒で「情報処理」を行うというものであり、だから主人公のロバート・マッコールは自身が勤めているホームセンターに強盗が入った際に、退治しようとした直前に犯人の背後から子供が見えたために、行動を控えて犯人の乗って行った車のナンバーを覚えておいて後で退治したのである。 ロバート・マッコールがあまりにも強すぎるという感じは拭えないが、例えば、娼婦のテリーと最初に出会った時に、マッコールが読んでいた本はアーネスト・ヘミングウェイの『老人と海(The Old Man and the Sea)』であり、この時のマッコールの心情を勘案するならば、諜報部員という仕事を引退した後の自分と主人公の老人を重ね合わせながら「解脱」を試みていたはずだが、テリーの悲惨な境遇を知ってしまった後は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』を読みだして敢えて無謀な戦いに挑むことを暗示させ、ロシアまで赴きロシアンマフィアの首謀者のウラディーミル・プーシキンを仕留めた後は、ラルフ・エリソン(Ralph Ellison)の『見えない人間(Invisible Man)』を読むことで、再び目立たない人間として生きていくことを暗示させるような本のタイトルの使い方が秀逸だと思う。 マッコールが読書の場として利用していたカフェのシーンが、エドワード・ホッパー(Edward Hopper)の絵画のような雰囲気が出ていてよかったとも思う。
「カフェ de 念力」というカフェのマスターである早乙女が店にこのような名前を付けた理由が興味深い。マスターは野良犬に追いかけられた経験を持ち、壁際まで追い詰められた時に、「スポーツバッグ」が転がってきて、地面をひとりでに転がっていった「スポーツバッグ」を野良犬が追いかけていったために助かったことで、いつかそのエスパーが店に来て再会できるようにという願いを込めて付けられたのである。カフェに集う本物のエスパーたちはそのように自分の姿を見せずに超能力を使うエスパーこそ理想とするエスパーだと語り合っているのであるが、そのスポーツバッグに入っていたのは、彼らが「偽者のエスパー」として断罪した「細男」の神田であることは、桜井米との会話の中で私たちは知ることができる。つまり「本物」であることが必ずしも「理想」であるとは限らないどころか、「偽者」が「理想」である可能性さえあるのだ。 『サマータイムマシン・ブルース』(本広克行監督 2005年)においてもタイムパラドックスを分かりやすく検証していたが、超能力に対するスタンスの取り方というのはここらへんにあるように思う。