原題:『太陽の坐る場所』
監督:矢崎仁司
脚本:朝西真砂
撮影:石井勲
出演:水川あさみ/木村文乃/三浦貴大/森カンナ/鶴見辰吾
2014年/日本
多すぎる伏線になかなか目が追い付かない佳作について
予備知識として最初にまとめておくと、高間響子が高校の体育館の倉庫に自ら閉じこもる言い訳として、日本神話の「岩戸隠れ」の天照大神を挙げており、結果的に、自分を閉じ込めてくれと響子に頼まれた鈴原今日子は「アメノウズメ」のように「女優」として活躍することになる。水上由希は『ティファニーで朝食を』(ブレイク・エドワーズ監督 1961年)のオードリー・ヘプバーンが演じた主人公の「自由気ままに自分さえ楽しければよしとする」ホリー・ゴライトリーの生き方に憧れており、先祖の墓参りにわざわざ黒で着飾っている。因みにキョウコが主演するA.ランボー原作の『Esquire de Deux(2人のエスクァイア)』とは「2人の紳士」となり、おそらく清瀬陽平を指すように思われる。
高間響子が高校時代に周りにちやほやされて「裸の王様」になり、他の生徒たちと不仲になってしまっても「徹底的に恥さらしになりたい」として10年ぶりのクラス会に参加し、なおかつ転勤により幹事を務められなくなった島津謙太の代わりに幹事を引き受ける理由は、それだけ地元に対する愛情があり、だから東京の放送局にスカウトされても断り、地元局のアナウンサーに留まっている。
自分の存在を脅かす同名の鈴原今日子を「りんちゃん」と呼び、場の空気が読めない浅井倫子(みっちゃん)を冷遇する理由は、たまたまクラスの人気者に納まった響子の使命感でもあったのかもしれないが、場を取り繕うとする余りに、「愛情」の問題が御座なりになり、それは清瀬陽平に見透かされていた。水上由希のスカートを隠した犯人は島津謙太だったが、倫子に対する響子の態度を知っていた由希は、響子の仕業だと誤解する。地元愛の強い響子がクラス会に出席して疎まれてしまい、地元に未練が無くクラス会にも絶対に出席しないキョウコが待望されているという皮肉が悲しい。最後で響子は卒業アルバムに清瀬との思い出の石を乗せるのであるが、その有様に女子高生の心理が象徴されているのである。
冒頭で響子は大学入試センター試験が行われている山梨学院大学の門の前で何故かセーラー服を着てレポートしているのであるが、音楽室に入っていく高校生の鈴原今日子を追って音楽室に入っていくカメラが映し出す、ピアノを弾いている鈴原は木村文乃ではなかっただろうか。皆既日食に対する生徒たちがつけるメガネは、天照大神と見なされる響子にも向けられることになり、響子に対する距離感がうかがわれる。昔のATG作品を彷彿とさせるシュールな演出が冴える。