寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

横田温泉はかつての遊廓街

2008年09月02日 | 

果物屋で買い物をしていた小母さんの助言は的確だった。横田簡易郵便局の奥が「横田温泉」である。一時は「新浅間温泉」と名乗っていたこともあったが、クレームがついて現在の名称に落ち着いている。

横田2丁目の田の字型エリアにかつて「横田遊廓」があった。郵便局の前の道が遊廓のメインストリートであるが、当時の繁栄を示す建物は皆無に近い。色街の残り香を微かに感じたのは元小料理屋のものと思われる塀のみだ。

元小料理屋

遊廓経営から旅館業(ホテルを含む)に鞍替えした4軒が今でも細々と営業を続けているようである。この内の3つが以前の屋号(G三楼・第二H来・M年楼)をほぼそのまま使用している。昔、警護役を務めた名残なのかは知らないが、M旅館から遠からぬ場所に「監視カメラを備え付けた大きな事務所」があった。

横田温泉の旅館の一つ

松本今昔語り1(山麓舎 昭和57年発行)で貴重な証言を見つけた。明治38(1905)年東京生まれの露木秀雄さんは昭和初期の回想を寄せている。

 一番遊び歩いたのは、昭和二年から五年ごろ。松本に来たのが二十歳のときですから、遊びたい盛りですわ…自動車なんて、ふつうの人はめったに乗るもんじゃなかったころ、フォードとかバッガード、それをボンボン乗って、女郎屋に専門に通ってね。松本の女郎屋ってのは、横田です。いまの新浅間温泉がそう。まわし部屋が一円九十五銭、本部屋へ入ると三円七十銭とられたですよ

「無声映画華やかりしころの弁士稼業」より抜粋

参考までに大正13(1924)年頃の一高ホールメニューの値段も載せておく。約2000倍にすると現在の貨幣価値になる。

メンチボール 三十銭
ハヤシライス 三十銭
ライスカレー 二十銭
天丼 三十銭
ざるそば 八銭

旧制第一高等学校『向陵史』大正十四年版より

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