赤線風の建物には何軒もの飲み屋の表示が見られたが、営業している雰囲気は感じられなかった。裏手はあのボロボロに傷んだ妓楼に隣接している。

厳つい造りの旅館があった。屋号を見て戦前の娼楼のそれと同一であることに気づいた。こういう旅館は身元の不確かな客は断っているのではなかろうか。どん突き(T字路)を左に曲がった先にあった「東仲店」が取り壊されて更地になっていた。

古い建物を修繕して維持するには十分償却可能なことが前提条件になる。高齢となった土地所有者が現状に見切りをつけて売却するのも納得だ。赤線廃止から既に50年。行政や周囲の住民から「負の遺産」と冷たく見放されて花街からの完全な脱却に成功した例を私はほとんど知らない。
