袋小路から「花しょうぶ通り」に出て東の方角に進む。河原3丁目の「妙源寺」から「大雲寺」の門前は近かった。

ここから銀座方面に引き返した。商店街を歩いて床屋が多いことに気づいた。レトロ調の「宇水理髪館」は昭和初期のコンクリート建築である。

「魚浩」の店先で主婦が晩のおかずを吟味していた。好物の鰻があって思わず手が出そうになったが、泣く泣く我慢した。

旅から戻って「花しょうぶ通り商店街」のHPがあることを知った。そこでは遊廓の歴史について詳細な記述があり大いに参考になった。
私は彦根と同じ城下町で生まれ育った。今ではすっかり寂れて虫の息となった商店街の東側に「新町遊廓」の流れを汲む旧赤線地帯が残っている。飲み屋街として辛うじて機能しているようだが、健全な若者には見向きもされないエリアになってしまった。
どんな町の歴史にも光と影はあるのだ。都合の悪い事実(一部の人間にとって)に墨を塗り公的な記録からことごとく抹消しようとする愚かな行為は町を衰退させた一要因だと思う。
また、目先の欲にとらわれるだけで客を呼び込む努力を放棄した商店街の主に「知恵」と「先見性」が無かったことは明白だが、最も欠如していたのは下町の人間としての「プライド」だろう。
「花しょうぶ通り商店街」のように余裕をもって過去の歴史を後世に語り継ぐことができなかったのは黒い団体とべったり癒着しているから、という冷たい見方もできる。「広島県東部=ガラの悪い地区」と認識されては、いつまで経っても観光客は増えない。
旧城下町のランクはピンからキリまである。先に述べた通り、我が町は最下位から数えた方が早い(笑)
