県3丁目の「あがたの森公園」、ここにある緑灰色の建物が旧制松本高等学校の本館と講堂だ。第九高等学校が松本市に設置されると決まったのは大正6(1917)年末のことである。
大正8年9月11日 第1回生の入学式を挙行
大正9年7月 校舎本館が落成
大正9年9月3日 思誠寮が開寮
大正11年8月 講堂・図書館が落成
敗戦後の学制改革により新制信州大学が誕生し、昭和25(1950)年3月をもって旧制松本高等学校は歴史の幕を閉じた。その後校舎の一部が取り壊されたが、市民を含めた保存運動が進んだおかげで本館と講堂は残った。そして平成19(2007)年6月18日、「国の重要文化財」に指定された。

松高OBである北杜夫さんのエッセイ「炬燵の味」には寮生活の様子が詳しく描かれている。
敗戦前に信州に行って、レンゲの花畠や高山のたたずまいに感激したが大きな炬燵もまた魅力の一つであった。
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私がきて、学校が再開され、すぐにきびしい冬がくると、自治を誇りとする私達の寮生活は、まず食糧と炭を確保するのが最も重大な事柄となった。
質の悪い炭で、なかなか燃えつかない。竹筒でぷうぷう吹く。顔は灰やら何やらで黒ずんでしまう。
それでもいざ炭が燃えつくと、かつてない快よさを私は覚えた。なぜなら、もう空襲で焼けてしまった東京の私の家には炬燵がなく、小さな行火が一つあるきりであったからだ。もちろん寝る時はそれを用いない。せいぜい湯タンポであった。
寮ではふつう四人部屋となっている。炬燵の四方に布団を敷き、足をそちらに向けて寝ると、なんとも暖かくて、信州の凍てつく冬も夢のようであった。
季刊「信州の旅」№26 昭和53年
北さんが入っていた寮は駐車場に変わった。そして美しい花が咲く池の周りは憩いの場として市民に愛されている。松本観光の際には大正ロマンの香りが残るこの場所をぜひとも訪れて欲しいと思う。

