糸碕神社の旧称は糸碕八幡宮、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后を御祭神とする。地元の人は親しみを込めて「はちまんさん」と呼ぶ。明治維新後に今の名称に変わったようだ。神社は2度火災にあっており現本殿は1759年に再建されたものである。『糸碕神社参拝之栞』に記された神社の由緒は以下の通り。
由緒
天平元年(七二九)宇佐八幡宮より穏分霊として応神天皇の御産髪を勧請して創祀したと伝える。近世に至り小早川氏が社領三百三十石、銭百五十貫を寄進、その後、福島氏、浅野氏に崇敬されている。元和八年(一六一二)七月十五日に炎上、棟札写しによると寛永元年(一六二四)六月に広島藩主浅野長晟公大願主、三原城主浅野忠長公を大旦主として本殿再建。同十四年に本殿葺替、万治二年(一六五九)拝殿造立す。
宝暦二年(一七五二)に再び火災に罹り、同九年に現在の本殿を再建した。
大正十三年には県社に列格した。現在伊勢神宮を御本宗と仰ぐ宗教法人神社本庁に所属する。
荘厳な造りの拝殿の前では身の引き締まる思いがした。参拝を済ませた私は拝殿の側道から短い石段を上り摂末社(せつまつしゃ)の方に向かった。

