寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

執拗な攻撃を仕掛けた蚊を指で押し潰す

2010年09月05日 | 日記
盆を過ぎても猛暑が続き「何時になったら涼しくなるんだ」とぼやく人は多い。バテ気味で動きが緩慢になった人間に対して元気なのが蚊である。先日書き物をしていた私は蚊の襲撃に悩まされた。あまりに腕の後ろが痒いのでシャツをめくると5ヶ所も刺されていた。「くそったれが」という汚い言葉が自然に口から出た。

しつこい蚊を退治するために作業を中断し部屋を閉め切り殺虫剤を噴霧するが、中々効かない。20分ほどバタバタして漸く蚊が畳の上に落下した。しぶとく悶える黒い物体を人差し指で捻り潰した。血は全く出なかった。子孫を残すために敵も必死であったことを悟りほんの少しだけ気の毒に思ったのである。

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故郷の色街跡について(その7)

2010年09月05日 | 日記

参考までに私が所有する戦前の市街地図(昭和五年発行)を載せておく。埋め立てられる前の入江(浜川)の形状や意外に碁盤目状の道路が少ない(城下町特有)ことが分かる。

「日本歴史地名大系35 広島県の地名」に新町(しんまち)に関する記述がある。

 浜川に掛かる新橋(木綿橋)以東の南岸沿いに位置し、東は新橋から南行する通り、西は住吉神社・五穀神社東側の通りで限られる(安政時代福山城下地図)。
 明治一八年(一八八五)当地に遊郭ができ、大正六年(一九一七)頃には妓楼貸座敷五〇戸、娼妓九〇余人を数えた(福山の今昔)。第二次世界大戦後、入江は埋められ遊郭も廃されたが、料亭・飲屋の並ぶ街となっている。なお新町には明治三二年福山劇場(寄席)が建設され新町座と称した。

入江沿いに建ち並ぶ妓楼はさぞ圧巻だったであろう。古老の回想では第二次世界大戦勃発前の新町遊廓は写真店の形態をとっていたという。

旧赤線地帯で異様な存在感を示すコンクリート建築(御船町)

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