福山繊維ビル跡を示す石柱、下部には1958.3~2010.4との表記がある。半世紀以上の歴史に終止符を打ち古びた建物は数年前に取り壊された(現在は商業施設アイネスとなっている。ちなみにinesは繊維seniを逆読みして命名された)
竣工当初は繊維卸の店舗がたくさんあったようだが、私が出入りするようになった平成の時代には既に飲食街のイメージの方が強かった。空き店舗に出来た串かつの店はあまり長続きしなかったのが記憶に残っている。若い店主は私に「福山には立ち飲み文化がないですからねー」とこぼしていた。
今では駅のほど近くに串かつを食べさせる店(居酒屋)がいくつもできたが、どれも座り飲みである。大阪のちゃっちゃと食べて出て行くスタイルはやはり定着しないようだ。単にせっかちな人間が少ないだけかも知れないが。
竣工当初は繊維卸の店舗がたくさんあったようだが、私が出入りするようになった平成の時代には既に飲食街のイメージの方が強かった。空き店舗に出来た串かつの店はあまり長続きしなかったのが記憶に残っている。若い店主は私に「福山には立ち飲み文化がないですからねー」とこぼしていた。
今では駅のほど近くに串かつを食べさせる店(居酒屋)がいくつもできたが、どれも座り飲みである。大阪のちゃっちゃと食べて出て行くスタイルはやはり定着しないようだ。単にせっかちな人間が少ないだけかも知れないが。
