寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

酷い内容の野球観戦終盤

2011年08月28日 | 日記
「そのうち夫はヒットを打ちます」

チアリーダー(嫁)の弁護むなしく、自打球を股間に当てまくり、タンカで運ばれていく、冴えない選手兼監督。観客の大ブーイングの後で代わりに登場する選手は気の毒である。

ある評論家が「イボには実はやりたいことが何もないのではないか」と分析していたが、私も同じ意見である。取り巻きと飲み食いに興じることと言い訳に終始する醜い姿しか思い浮かばないからだ。とにかく失政退陣の日は秒読みとなった(笑)

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忠海の川下遊廓跡を訪ねて(その3)

2011年08月28日 | 
塩浜(塩田)の西沖堤に鎮座していた湊明神社。祭神は厳嶋明神、塩浜(正徳年間にできた)の守り神である。江戸時代の忠海地図(文政年間発行の「芸藩通志」より)を参考にするとJR忠海駅の南側が塩浜の跡地で肥料会社やジャム製造会社が出来ている。

湊明神社の敷地隅に残る石柱(文化十四年奉寄進の文字あり)

社の敷地隅に建つ高さ50センチほどの石柱に文化十四年(※1817)奉寄進と彫られていることから、19世紀の初めには既に地域住民によって祀られていたことになる。この円柱石造品が船繋ぎ石の一部なのか、それとも橋欄干の石柱なのかは私には分からない。

湊明神社の全景

元妓楼及び湊明神社前の道の大部分は江戸時代海だったと考えられる。社の前にはおそらく雁木が設けられていたはずだ。手持ちの資料が少ないので自信はないが、幕藩体制崩壊後、船入堀に面した向町にあった遊女屋が川下地区に移転し遊廓として認可されたのではないだろうか。

元妓楼と湊明神社の位置関係から昔の海岸線を想像する

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2年前の新聞をネチネチと読み返そう

2011年08月28日 | 暗黒の無政府時代
2年前の新聞を読み返してみると実に笑える。政権交代に大きな期待を寄せる記者に対して当時から私の見方は冷ややかであった。自分があの頃危惧したことの多くは現実となってしまった。

今年の8月6日、広島の講演会で田母神俊雄さんは「信じる者は騙される」と発言して会場を沸かせたが、皮肉にもこの言葉の意味を噛み締めたのは東北の民ではなかっただろうか。混沌とした政治の世界では迷惑な鷺に続いて閑古鳥がヨロヨロと羽ばたこうとしている。次に飛んで来るのが鬼車鳥でないことを祈るばかりだ。

早急な厄災封じ(解散総選挙)が必要と考える庶民が日に日に増えているのは自然な流れだ。そろそろ我々自身(真の日本国民)の手で「民意」という言葉を復活させねばなるまい(笑)

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