寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

忠海の川下遊廓跡を訪ねて(その2)

2011年08月26日 | 
昭和5(1930)年発行の「全国遊廓案内」には川下遊廓が忠海町遊廓として以下のように紹介されている。

 忠海町遊廓は広島県豊田郡忠海町に在つて、山陽本線本郷駅から東へ約一里半、乗合自動車及乗合馬車の便がある。鞆又は呉から船で行くのも面白い。貸座敷は目下四軒程で、娼妓は約二十人程居るが、九州及四国の女が多い。店は陰店を張つてゐて、娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやつてゐない。遊興は時間、仕切、泊花制で、費用は一時間一円二三十銭、一仕切は二円七十銭位で、一泊の通し花は五六円見当である。台の物は着(※ママ)かない。

客が6キロも離れた本郷駅から移動することに驚かれる人がいるだろうから説明しておこう。実はこの時点で忠海駅はまだ存在していない。三呉鉄道の停車駅として忠海駅が開業するのは昭和7年7月である。私はむしろ福山の鞆の津から遊び人が船に乗って登楼した(であろう)という記述に注目した。

唐破風玄関が印象的な元妓楼

玄関先に唐破風屋根がある元妓楼の向かいは公園のように見えたが、違っていた。大木の近くには忠海の歴史を知る上で重要な神様が祀られていたのである。

元芸楼のすぐ東に位置する場所(大木のある周辺)

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忠海の川下遊廓跡を訪ねて(その1)

2011年08月26日 | 
川下(かわしも)踏切から先は忠海港に向かって道が真っ直ぐのびている。距離にしておよそ100mである。そして道が緩やかなS字を描き始めるところに大きな屋敷が建っている。広い築山を囲う屈強な塀を見て私は「ここからだな」と言った。

川下遊廓跡(竹原市忠海中町1丁目)

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