寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

独立行政法人国立病院機構福山医療センターの建て替え工事

2015年01月22日 | 日記
独立行政法人国立病院機構福山医療センター(福山市沖野上町4丁目14‐17)の西側で現在建て替え工事が行なわれている。長い名称に変わったのは平成16年(2004)で以前は古い門柱の表示の「國立福山病院」と呼ばれていた。

建て替え工事

國立福山病院の前身は明治期に開設された福山衛戍病院で昭和41年(1966)に現在地に移転した。工事現場入口の斜向かいに位置する和菓子屋「三河屋」も元々は本通で営業していた(戦前の創業)。このように過去と現在はちゃんとつながっている。現存する建物だけを見て「我が街には何もない」と言う人間は四流新聞のク○記事を鵜呑みにする愚者である。歴史は自分の足で調べるから面白いし為になるのだ。

和菓子屋

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岡山市の旭川に架かる相生橋の歴史

2015年01月22日 | 
冒頭の画像は『六稜回想(六高創立七十五年記念展 昭和五十年十一月)』の64頁に掲載された写真で、マントを羽織った六高生が相生橋の東詰からお城の方を眺めているものと思われる。旧制六高(第六高等中学校)の開校は明治33年(1900)3月。

六稜回想(六高創立七十五年記念展 昭和五十年十一月)

内田百のエッセイ「荒手」には相生橋が旭川に架かる前後の様子が描かれており興味深いので一部引用しておこう。

 古京町から内山下の方へ行くには相生橋を渡るのであるが子供の時分に相生橋はまだ架かっていなかった。古京の町筋の西裏を包む様に土手があって、その下はから川である。大水の時には後楽園の土手の石畳の所から水が上がって御後園裏一帯に流れ、大川の水勢をそぐ様にしてあったらしい。その水が古京裏のから川を通って中屋敷の磧のある川幅の広い所でまた大川に合流する。水位が高くなれば町裏の土手もあぶなくなって、どこそこが切れそうだと云うと町内総出で土手の補強をした昔の騒ぎを覚えている。

 から川の向うが荒手の藪である。後になって荒手の藪の真中から向う岸へ相生橋が架かったが、相生橋の外にもう一つ荒手の東側から古京の西裏へ、そのから川を跨がって架かった龍見橋がある。龍見橋がいつ頃が出来たか思い出せないけれど、あやふやな記憶の中の順序では相生橋よりも前からあったのではないかと云う気がする。

初代の(木造)相生橋は池田家の出資で建設が始まり明治37年4月22日に竣成開通し、昭和9年の室戸台風による大水で流失した。よって白黒写真は内田が渡ったものではなく昭和13年に再建された橋だろう。

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人気の笠岡市漁協朝市(毎週火曜日限定の外浦朝市)

2015年01月22日 | 日記
福山人は笠岡諸島産の魚介類をよく食べる。安くて美味しいものは当然福山市内のスーパーに並ぶし、味覚が確かで腕に自信のある者は(沼隈よりもむしろ)お隣の市へ買い出しに行く。岡山県笠岡市神島外浦(こうのしまそとうら)の笠岡市漁協朝市には福山からもかなりの人間が集まっているものと思われる。ワタリガニ(ガザミ)などはやはり実際に見て購入したいからだ。毎週1日限定、火曜日の午前9時~10時開催というのも戦略であろう。

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熱量豊富なミートソーススパゲッティ

2015年01月22日 | 家飯
普段はペペロンチーノ系を好んで食べている私だが、寒い冬(特にバテ気味の時)にはミートソースのスパゲッティーが欲しくなる。ソースはレトルトなどの既製品ではなく自家製。小分けして冷凍しておいたものを使うから非常に楽である。パターと粉チーズを追加してよく和えて濃厚な味わいにする。腹持ちのよいパスタは栄養補給には最高である。

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