寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

割烹での悪口雑言

2008年09月16日 | 外食
ラフな格好で現れたHさんは私を見つけると片手を挙げて「おぅ」と言った。顔を合わすのは今年の冬以来だ。私達は駅前の割烹に入り、座敷に上がった。

汗をかき過ぎて喉はカラカラである。つまみを注文して生ビールで乾杯した。「うまいっ!」2人の口から同じ言葉が飛び出した。私が持参したレア物を手渡すとにやっとしての北京オリンピックの話題を振ってきた。

「閉会式にはあのジミー・ペイジが出たらしいな。お前見たんか?」

「ええ。まあ一応」

「で、どうやった?」

「‥‥‥。そうそう、佐田からも同じ質問を受けましたよ。ベッカムの面はとても良かったですが、ペイジは大根役者でしたね。腹のぷっくり出たクラプトンと同様に見っともなくて哀れでした。その点ジェフ・ベックは違います。別格というか。年々渋くなる名優のようで。決して守りに入らず攻めの姿勢を貫く、孤高のギタリスト」

「そやな。ベックはめっちゃ格好ええと思う。ペイジはやっぱりあかんか」

「はい。全然あきまへん。既に終わった人ですよ。それを無理して褒めるのはかすみ目のヅラオヤジくらいでしょう。現在がないのは非常に辛いw」

「あははは。ほんまボロクソやの」

「また扱き下ろしてしまったわ。でも本当のことですからねぇw」

その後も宮川大助・花子の漫才のような会話が延々と続いたのである。店の人はさぞかし苦笑していたことだろう。

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ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(紀尾井シンフォニエッタ東京)

2008年09月15日 | 洋楽

私がクラシック音楽なるものに興味を持ち始めたのは中学に上がった頃だった。音楽の授業で採り上げられた「魔王」がきっかけとなって、所謂古典をエアチェックするようになった。

それからまもなくベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を知り、壮大なスケールを持った美しい曲をテープで繰り返し聴いたものだった。時は流れ、四半世紀が過ぎたが、いまだに「英雄」は好きである。

苦いコーヒーを啜りながら「紀尾井シンフォニエッタ東京」の演奏に耳を傾けた。私は「温故知新」という言葉を思い起こして静かな休日のひと時を楽しんだ。

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さようなら広島市民球場

2008年09月14日 | 日記

市民球場で野球観戦できるのも今期限りだ。私は広島東洋カープのファンではないが、元市民として少しさみしい気がする。市は跡地の「東側に集客施設」を、「西側に緑地帯」を作る計画を発表していた。

新球場建設中

新球場の方は南区南蟹屋町(ヤード跡地)で着々と工事が進行中である。長い間見向きもされなかった土地に光が当たることになる。闇市の雰囲気を今なお色濃く残す「愛友市場」が消える日も近い。

広島駅前の愛友市場入口付近

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ジャコ山椒

2008年09月13日 | 食材

チリメンジャコを湯でこぼして塩抜きしてから、日本酒をたっぷりと加えただしで炊く。青山椒の醤油煮を入れることで味がしまる。3日以内に食べてしまうことを前提にして薄味にしている。

私は青味に安価なしし唐を使う。「予算に余裕のある方は万願寺唐辛子」で、そして「別に何でもええわという人はピーマン」で好みの味に仕上げるとよいだろう。

小皿に盛れば粋な酒肴に。ご飯に混ぜて食べても非常に美味である。特に食欲のない時におすすめだ。

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東京人no.259「アウトロー列伝」

2008年09月12日 | 書籍
もう20年以上も前のことである。東京育ちの気障な友人が私に尋ねてきた。

「広島にはゴロツキが多いと聞いてはいたけど、ここまでとは思わなかったよ。何で?」

「難しい土地柄だから、としか俺の口からは言えんな」

「ふーん。そうなんだ」

「腐った水にボウフラが湧くのと同じだw」

賢い男だったので顔を少し歪めただけでそれ以上は聞いてこなかった。高校の垢教師とは比べものにならぬくらい物知りで現実を直視する力量を備えていた(笑)

東京人10月号の特集「アウトロー列伝」は読み応え十分だった。魅力あるアウトロー五ヶ条の2つ目にこうあった。

自分をヒーローにしない。
日陰の存在という恥じらいを持つ。
法は犯しても決して仲間を裏切らない。

「昔の侠客には彼らなりの美学があったんじゃが、今の与太者にはまったくないけーのぅ。大体、金●の大きさが違わー」と古老が呟いたことを久しぶりに思い出した。

奇しくもその日は、与謝野馨さんが総裁選の他候補との違いを問われて「そういうことを言わない謙虚さや羞恥心」と淡々と答えていた。

それを見た私は「含蓄のある言葉だ」と思い自然に笑みがこぼれた。

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タコの緑酢

2008年09月11日 | 家飯

タコ酢の別バージョン。キュウリをすりおろして布巾に包んで軽く絞る。ぶつ切りにした湯でダコとみぞれ状のキュウリを和えて調味酢をまわしかける。

緑色のみぞれがいかにも涼しげで夏向きのメニューであるが、残暑の厳しい今時分ならばまだ大丈夫だ。

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栗カボチャの煮物

2008年09月10日 | 食材

ホクホクして甘みが強い栗カボチャ。坊ちゃん南京という別名もある。塩茹でにしてかじっても十分に美味しい。今年の夏はカボチャをよく食べた。

種を取ってだし(煮干+昆布)でさっと炊く。砂糖は不要で味醂を少し落とすくらいだ。色をきれいに仕上げたい人は龍野の薄口醤油を主に使うとよい。家庭料理の定番として男性もマスターしておいて損はない。

カボチャとインゲンの煮物

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昭和のSL映像館 西日本編(NHK総合)

2008年09月09日 | 日記
蒸気機関車の勇姿を捉えた番組を録画し、西日本編を真っ先に見た。しばらくして昭和35(1960)年のニュースから日本国有鉄道「瀬野機関区」が出てきたのでテレビ画面に釘付けになった。

「瀬野~八本松間の急勾配」は難所とされ、通過には2台の蒸気機関車が必要だった話を以前に聞いたことがあった。

広島駅で「後補機関車D52」を接続してパワーアップさせる。そして峠を越えた段階で走りながら用済みの後補車を切り離す。一連の流れを理解するには最適の映像だった。

まさに「百聞は一見に如かず」である。

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焼きナスのほのかな甘み

2008年09月08日 | 食材

夏から秋にかけて食卓に上がることの多いナス。一番なじみのあるのは中長ナスだ。淡白な食材だから料理の数は山ほどある。

ナスの持ち味をいかすには焼きナスがよい。ナスを焼いて熱いのを我慢して黒焦げになった皮をむく。適度に水分が抜けるので上品な甘みが一層増す。

生姜醤油をつけて食せばと爽やかな味に変わる。酒のアテだけでなく飯のおかずとしても優れものだ。簡単な家庭料理はもう少しの間楽しむことができる。

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松本の食文化(その3)

2008年09月07日 | 

昼休みを取らない大人の居酒屋が松本市にある。利用客の年齢、料理の質共に高い。客と店員との適度な距離感が居心地の良さを生むのだろう。

夏に「鯉の洗い」で酒を飲んでいると暑さがやわらいで時の経つのを忘れる。若い頃は洗いがあまり好きではなかったが、今ではその良さがわかる。

新鮮な鯉の身を削いで冷水でしめて余計な旨みと脂を洗い流す。夏バテ気味の時には味の濃いものを体が拒絶する。極々薄い味で涼をとる贅沢さ。脂でベトベトになったラーメンを飽きもせず麻薬のように摂取する患者には一生縁のない味だろう(笑)

信州の郷土料理「おたぐり」

「おたぐり」は馬の腸を味噌煮込みにしたもので非常に柔らかい。牛の腸と比較すると若干癖はあるが、味噌のおかげでかなり食べやすくなっていると感じる。

牛の肺臓とハチノスを合わせたような食感と味だ。クチュクチュ噛むと濃厚な旨みが滲み出て余韻が舌に残る。この料理はどちらかといえば日本酒よりもビールの方が合う。

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松本の食文化(その2)

2008年09月06日 | 

長野県といえば熊本県と同様に馬肉が有名だ。松本市内には馬肉料理専門店がいつくもある。高蛋白低カロリーの肉は脂の多い和牛とは対極の味とも表現できる。

コウネ

私は霜降りの刺身は食べずに赤身とコウネ(脂身)を注文した。コウネを赤身で巻いてニンニク醤油をつけて味わうのが好きだ。柔らかい赤身はさっぱりしていて、コウネは甘い。

馬カツ

馬カツ(ロース肉)の断面は美しいロゼ色。流石、火の入れ方は見事である。やや歯ごたえがあって噛むほどに淡い旨みが広がる。しつこくないカツは酒のアテにもなる。

女性従業員が馬肉の調理法について面白いことを教えてくれた。馬肉をいきなり醤油で煮ると縮んで硬くなってしまうので昔から味噌を使っているという話だった。

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松本の食文化(その1)

2008年09月05日 | 

松本を訪れた際に必ず寄る店について書いてみたい。駅前にあるカウンターだけの小体な焼き鳥屋。19時前から店内はぎゅうぎゅう詰めで香ばしい匂いがたち込める。

若き二代目が一人で黙々と串を焼いていく。「特別な材料や調味料は使っていないんですよ」と言葉少なに語るところは立派である。実際、自己陶酔に近い「能書き」を聞かされて飲食することくらい嫌なものはないのだ(笑)

しし唐と揚げ焼き

焼き方が絶妙のハツからじゅわっと肉汁が溢れ出す。レバーと俵つくねはオリジナリティーがあって出色のできばえ。日本酒によく合う揚げ焼きには味噌だれが控えめに塗ってある。

鰯の香り焼き

「時価」と書かれた鰯の香り焼きのファンは多い。大葉と梅肉が挟んであるので鰯のくどさを感じずにあっさり食べられる。ホッピーやハイボールがメニューにあるのは非常にありがたい。

県外の客にも懐にもやさしい店はこれから益々繁盛することだろう。

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旧制松本高等学校跡地(あがたの森公園)

2008年09月04日 | 

県3丁目の「あがたの森公園」、ここにある緑灰色の建物が旧制松本高等学校の本館と講堂だ。第九高等学校が松本市に設置されると決まったのは大正6(1917)年末のことである。

大正8年9月11日 第1回生の入学式を挙行
大正9年7月 校舎本館が落成
大正9年9月3日 思誠寮が開寮
大正11年8月 講堂・図書館が落成

敗戦後の学制改革により新制信州大学が誕生し、昭和25(1950)年3月をもって旧制松本高等学校は歴史の幕を閉じた。その後校舎の一部が取り壊されたが、市民を含めた保存運動が進んだおかげで本館と講堂は残った。そして平成19(2007)年6月18日、「国の重要文化財」に指定された。

旧制松本高等学校講堂


松高OBである北杜夫さんのエッセイ「炬燵の味」には寮生活の様子が詳しく描かれている。

 敗戦前に信州に行って、レンゲの花畠や高山のたたずまいに感激したが大きな炬燵もまた魅力の一つであった。
 ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 
 私がきて、学校が再開され、すぐにきびしい冬がくると、自治を誇りとする私達の寮生活は、まず食糧と炭を確保するのが最も重大な事柄となった。
 質の悪い炭で、なかなか燃えつかない。竹筒でぷうぷう吹く。顔は灰やら何やらで黒ずんでしまう。
 それでもいざ炭が燃えつくと、かつてない快よさを私は覚えた。なぜなら、もう空襲で焼けてしまった東京の私の家には炬燵がなく、小さな行火が一つあるきりであったからだ。もちろん寝る時はそれを用いない。せいぜい湯タンポであった。
 寮ではふつう四人部屋となっている。炬燵の四方に布団を敷き、足をそちらに向けて寝ると、なんとも暖かくて、信州の凍てつく冬も夢のようであった。

 季刊「信州の旅」№26 昭和53年

北さんが入っていた寮は駐車場に変わった。そして美しい花が咲く池の周りは憩いの場として市民に愛されている。松本観光の際には大正ロマンの香りが残るこの場所をぜひとも訪れて欲しいと思う。

旧制松本高等学校の正門


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深志神社のお膝元「天神」界隈

2008年09月03日 | 

深志神社の参道である「天神小路」。小笠原秀正による統治時代に「馬場」が造られたという。小路の奥にひっそりと建つ「富士浅間神社金刀比羅宮」と「松本旅館協同組合」の事務所。

富士浅間神宮金刀比羅宮

松本旅館協同組合


神社の周りは栄え天神界隈にも遊里があった。そのことを「松本今昔語り1」で露木秀雄さんが言及していた。

 横田以外に松本の女郎屋があった…土井尻に淫売屋があったし、西堀にも、天神にもあったですね。駅降りて平和館の脇、ドブ川のついた小路を入っていくと正安寺というお寺のあったいまのはやしや(元ジャスコ)へ出るんですけど、その小路にも淫売屋があった。うら町や天神は、芸者町です。うら町は芸達者、天神はころび芸者っていわれましたわ

「無声映画華やかりしころの弁士稼業」より

現在の天神周辺は寂れて華やかな頃の面影は微塵もないが、いかがわしくて下品な「垢すりマッサージ店」はある(笑)

2Fがマッサージ店

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横田温泉はかつての遊廓街

2008年09月02日 | 

果物屋で買い物をしていた小母さんの助言は的確だった。横田簡易郵便局の奥が「横田温泉」である。一時は「新浅間温泉」と名乗っていたこともあったが、クレームがついて現在の名称に落ち着いている。

横田2丁目の田の字型エリアにかつて「横田遊廓」があった。郵便局の前の道が遊廓のメインストリートであるが、当時の繁栄を示す建物は皆無に近い。色街の残り香を微かに感じたのは元小料理屋のものと思われる塀のみだ。

元小料理屋

遊廓経営から旅館業(ホテルを含む)に鞍替えした4軒が今でも細々と営業を続けているようである。この内の3つが以前の屋号(G三楼・第二H来・M年楼)をほぼそのまま使用している。昔、警護役を務めた名残なのかは知らないが、M旅館から遠からぬ場所に「監視カメラを備え付けた大きな事務所」があった。

横田温泉の旅館の一つ

松本今昔語り1(山麓舎 昭和57年発行)で貴重な証言を見つけた。明治38(1905)年東京生まれの露木秀雄さんは昭和初期の回想を寄せている。

 一番遊び歩いたのは、昭和二年から五年ごろ。松本に来たのが二十歳のときですから、遊びたい盛りですわ…自動車なんて、ふつうの人はめったに乗るもんじゃなかったころ、フォードとかバッガード、それをボンボン乗って、女郎屋に専門に通ってね。松本の女郎屋ってのは、横田です。いまの新浅間温泉がそう。まわし部屋が一円九十五銭、本部屋へ入ると三円七十銭とられたですよ

「無声映画華やかりしころの弁士稼業」より抜粋

参考までに大正13(1924)年頃の一高ホールメニューの値段も載せておく。約2000倍にすると現在の貨幣価値になる。

メンチボール 三十銭
ハヤシライス 三十銭
ライスカレー 二十銭
天丼 三十銭
ざるそば 八銭

旧制第一高等学校『向陵史』大正十四年版より

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