寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

小イワシの梅煮

2010年11月21日 | 食材
カタクチイワシのことを地元では小イワシと言う。広島市内の小料理屋は安い値段で造りや天ぷらを提供している。塩焼きや干物も結構美味しい。

我が家で時々作るのは煮物である。今回は梅煮の話をしよう。頭と内臓を取り除いたイワシを塩水で洗い酢を加えた熱湯でゆでる。余計な脂分と癖を抜いてから、出汁・酒・薄口醤油・味醂で炊く。梅干を加えることで更にすっきりした味わいになる。青魚が苦手な人にはぜひ試していただきたい調理法だ。

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紅葉にも異変が?

2010年11月20日 | 日記
関東の友人は電話で「今年の紅葉は変だよ」と教えてくれた。夏が非常に長かったために紅葉が遅れているというのは西日本でも同じなのだが、美しさがイマイチという情報には驚いた。

彼の話から推測するに「微妙な濃淡」を楽しめない状態なのだろう。気温の急激な変化は葉の色付き具合に大きく影響するのかもしれない。

友人は猛暑の影響でリンゴが例年よりも小粒だと言った。私も広島のイチジクが小ぶりだったと伝え、過酷だった夏の話でしばらく盛り上がった。

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くわいの素揚げは万人向き

2010年11月20日 | 家飯
地元のくわい料理で人気が高いのが素揚げだ。油で揚げるとくわいの苦みを感じにくくなる(ゆえに万人向けと言える)。適量の塩を振って熱いうちに食べる。

くわいの魅力は甘みとほろ苦さの絶妙なバランスだろう。今回は小くわいを使ったが大きいものは厚めにスライスしてチップスにする。これもオツな酒肴だ。

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備後のくわい

2010年11月19日 | 食材
地元の特産品・くわいの出荷が始まった。早速小さなくわいを購入したところ100g当たり100円弱だった。くわいの値段は出始めと年末が最も高い。

幼い頃の私は苦みのあるくわいが嫌いだった。糖度の高い炭酸飲料を卒業しビールを飲むようになって嗜好は少しずつ変わっていった。苦みも素材の持ち味であることに気づき始めたのである。

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私にとってボールペンは必需品

2010年11月19日 | 日記
通常の書き物に使用するのがボールペンだ。どこかでもらった万年筆もあるのだが、使いやすさを考えると断然軽量のボールペンがよい。

インクを切らして100均に行ってみると何と10本入りの袋が置いてあった。当然105円である。今までコンビニで買い物をしていたのが馬鹿らしくなった。メモ魔の私でも10本消費するには数ヶ月かかるだろう。

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言わなくてもよいことを言う人達

2010年11月18日 | 暗黒の無政府時代
法務大臣の身内の集まりにおける発言はまさに「とうじん」であった。彼を広島の恥さらしとまでこき下ろす人もいた。私は映像を見て「宇宙人並やな」と呟いた。

そしてまた今日国会で呆れる出来事があった。「暴力装置」「法的拘束力はない」という言葉を発した老人は「国家」を解体する前に「自分の首」を絞めるのではないかと心配した。

私の地元の代議士が政府を厳しく追及するのに対して受け答えする方はシドロモドロで見るのも気の毒だった。やはり与党のメルトダウンは保身を考え出した時から加速している。

私は今年の8月6日に広島市まで出かけたことを思い起こした。「ふたたびヒロシマの平和を疑う!」と題した講演会で田母神俊雄さんが予言したことがドンドン的中しているのである。彼の先見性は高く評価されるべきだ。保守再編の可能性も出てきた。とにかく来年は激動の年となりそうだ。

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街中の野鳥に変化

2010年11月18日 | 日記
燃えるゴミを出す日は朝早くからカラスの鳴き声が聞こえて嫌な気持ちになる。カラスは増える一方だが、スズメはあまり見かけなくなった。昔は至る所で目にしたスズメは山里に移動したのだろうか。緑地や田んぼの激減で成育が難しくなっているのだろう。

米粒を置いてスズメをおびき寄せ竹ザルの中に閉じ込める遊びをしたのは昭和47年頃である。私が罠を仕掛けた緑の楽園は消え失せて住宅街に変わっている。

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マニュアルに頼り過ぎない生き方

2010年11月17日 | 日記
日本人は本当にマニュアル(お墨付き)が大好きである。これが無いと落ち着かないと言う人さえいる。私はマニュアルを重視しない人間なので大まかな筋だけ押さえておいて他はいじくる。

冒険にリスクはついてまわるが、失敗から得ることも多いのである。料理はその最たるものだと思う。自ら発見する喜びを覚えると視野は一気に広がってゆく。

某テレビ局のテロップ「この作り方がベスト!」というのを見て爆笑する位の力量は欲しい。手持ちの時間、その日の体調及び天候を考慮して味付けや調理法は自分の判断で変えればいいのである。

マニュアルよりも自分の五感を大切にする人はどんな分野でも一流だ。彼らは他人にアドバイスする際に「こういうやり方もありますよ」とさり気なく言うだけで決して自分の考えを押し付けようとはしない。四流以下はこの反対である(笑)

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煮干しだしを見直したい

2010年11月17日 | 食材
煮干しは瀬戸内の名産である。寝る前に煮干しを水につけておくだけで翌朝旨みが抽出できている(簡単な水出し法)。状態の良い(酸化がほとんど進んでいない)ものであれば頭とワタは取り除かなくても大丈夫だ。

煮干しのだしは力強い旨みが特徴。鰹と昆布のような上品さには欠けるものの一般家庭の味噌汁に使うだしとしては十分であろう。特にじゃが芋との相性は抜群だ。私はうどんだしを作る際に鰹節・昆布・煮干しの3つを合わせている。大阪と讃岐のうどんだしの合体でかなり複雑な味が作り出せる。

市販の顆粒だしは便利で重宝するが、時々安価な煮干しでだしを取ってみてはいかがだろうか。

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大講義室を抜け出して時間を潰した場所

2010年11月16日 | 学生時代
大講義室を離れた不良学生が向かう先は鷹野橋商店街だった。入口左横の書店ではよく立ち読みした。軍資金のある時には書店向かいのパチンコ屋でしばらく涼んだ。悪友は1時間ちょっと経過したことを確認すると「そろそろ帰ろうぜ」と言った。幾ばくか懐の温かくなった私達は再び大講義室に戻るのである。

マルキストS田教授はエスケイプ学生対策として授業終了の20分前に再度出欠を取っていた。私は何食わぬ顔をして歯抜け状態の教室に潜り込み数人分の代返までこなした(笑)

大講義室の授業は一般的に楽勝(単位が取りやすい)と言われており、この「社会学」は有名科目であった。教授は教科書(自著)を読み上げ適当に解説を加え学生らが筆記するための間を取っていた。所謂旧帝国大学で行われた筆記学問の延長である。この問題は「日本の近代 第12巻 付録(中央公論新社 1994年4月)」の猪瀬直樹さん(1946年生)と竹内洋さん(1942年生)の対談で面白おかしく取り上げられている。私より2回り上の世代が受けた教育とほとんど差異はないことがわかる。

「社会学」はマルクスの洞察力のすばらしさを褒めちぎることに力点が置かれていたが、そこから派生した共産主義(全体主義)の恥部について語られることはなかった。資本家と労働者の対立構造を長々と説くだけで農民も漁民も出てこない。簡略モデルを日本にそっくりそのまま当てはめること自体に無理があった。

エスケイプ学生は学習能力が低かったというよりはむしろ講義が胡散臭いのを漠然と見抜いていたのではないかと今では思う。教授と同門にあたる作家・杉森久英さんの回想からは赤化しかけた戦前の学生の多くは流行りものに飛びついただけだったという事実が浮かび上がってくる。私達が高等教育を受けた昭和の末においてマルクスは既に「カビ臭いもの」として認識されていた。

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昭和末期の広島電鉄・鷹野橋電停周辺

2010年11月16日 | 学生時代
昭和62(1987)年初夏。東千田キャンパスの大講義室(我々学生は略してだいこうと呼んだ)は灼熱地獄と化していた。数百人の学生を収容する教室に冷房設備は無かった。

私は講義室の後方(左手)に設けられた出入口近くに陣取り欠伸を連発していた。マルクスを神と仰ぐ教授は講義開始から20分ほどして聴講生の名前を読み上げていた。

「法学部 学生番号××××××× みたらい君」

ある程度講義に出ていないと不利だと聞いていたので私達は返事を済ませてから退席するのだった。堂々と出て行く学生があまりに多いので教授(旧制四高卒)はひどく腹を立てていたという。

悪友(被爆2世)と連れ立って正門を出て「かむろ」「会計学院」の前を通過する。そして広島電鉄「鷹野橋電停」辺りから横断歩道を渡って商店街を目指した。

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sengoku38氏が施した巧妙な仕掛け

2010年11月15日 | 暗黒の無政府時代
一躍時の人となった海上保安官(sengoku38)の逮捕が見送られたという報道は意外だった。国民感情も考慮したとの事だが、どうもすっきりしない。処分もせずに無法者の中国人船長を(超法規的措置で)帰国させたことからケチがつき始め、今では特使と中国政府の間で密約があったのではないかと疑われている有様である。

説明責任を果たさない政府与党に対する国民の目は厳しく内閣支持率はとうとう危険水域に突入してしまった。フワフワした気分に左右される数字は別にどうでもよいのだが、一般大衆がニタニタおじさんに飽きて早くも別の救世主を求め出している点は見逃せない。確かに現政府は強風が吹けば簡単に剥離する安っぽいヅラのようだ。しかし、そのような政権を誕生させた責任は国民の側にある(※私はここに含まれていない)。

sengoku38氏は寝ぼけた国民の目を醒まさせるために巧妙な仕掛けを施したのではないだろうか?

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ワケギとタコの酢味噌和え

2010年11月15日 | 食材
ワケギのぬた(酢味噌和え)は左党を悦ばせるアテである。瀬戸内では手長ダコのぬたが定番だが、赤貝で作ったものも人気が高い。

いつもは米酢を使うところを柚子の絞り汁で置き換えた。柚子の爽やかな香りが鼻腔をくすぐりやわらかい酸味が舌を包み込む。ワケギがまだ旬ではないのが惜しいところ。寒さが増すとワケギはもっと甘みが出る。

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咀嚼することの重要性 

2010年11月14日 | 日記
「このお肉軟らかくておいしーい」

何時間も煮込んだビーフシチューを食べたレポーターがよく発する言葉であるが、「もっとマシなコメントができないのか」と突っ込みたくなる。若い人が総入歯の老人のような発言をしているのが不気味だ。

「軟らかい≒美味」というのはテレビ局(と店)による一種の刷り込みだと私は考えている。トロや霜降り肉信仰(所謂幼児にもわかる味)がもたらす弊害についてメディアが触れることは少ない。

イタリアのTボーンステーキのように噛み締めて味わうことを今の日本人は忘れているようにも思う。食の話を情報に置き換えて考えてみよう。何が正しくて何が嘘か、自分で調べて判断する(≒咀嚼する)ことは基本中の基本である。メディアが一方的に流す情報を鵜呑みにすることは危険極まりない。

今回の尖閣映像流失はまさに我々に咀嚼の重要性を説いているかのようだ。政府の見解を貴方はどう思うかと。隠蔽体質については真摯に反省した上で改める必要があるだろう。極左による「9条」及び「とうじん」マンセーでは駄目だということがはっきりした点は我が国にとって良かったと考える。

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ザクロをもいだ頃の記憶

2010年11月14日 | 食材
紙芝居屋が来ていた神社境内のそばにザクロの木があった。悪童達は木に登って自分の掌よりも大きなものだけをもいだ。そして口が真っ赤になるほど豪快にかぶりついて種を吐き捨てたものだった。

神輿が町内を練り歩く10月中旬頃(昭和50年代初頭)の話である。我々の遊び場だった神社のザクロの木が伐られてから約30年が経過した。

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