寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

直ちにという言葉の意味

2011年03月17日 | 日記
テレビや新聞でしきりに学者がモニタリングポストで計測される放射性物質に関して「直ちに健康被害が出るレベルではない」と語っている。確かにその通りだ。しかし、九九のできる人であればこの言葉の逆を考えるだろう。

非常事態が長期にわたれば決して楽観的なことを言ってはいられない、と。政府が火消しにやっきになるのもわかるのだが、まずは国民に詳細なデータを開示した上でこれまでの不手際を詫びなければならないと私は思う。

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八日市新地のアカミチ(その4)

2011年03月17日 | 
旅館(旧清里楼)の先には頑丈なコンクリート塀で囲まれた広大な敷地がある。滋賀県の有名料亭「招福楼」には池波正太郎さんと重金敦之さんが一緒に取材に訪れている。

インターネット掲示板に地元の人が「…昔ほど高額ではなくなったらしい。…昔は田中角栄が訪れたくらいの由緒ある料亭やった…(※)」と書き込んだのも「なるほど」と頷けるのだ。

料亭「招福楼」

大正期の招福楼の周りは黒板塀で当時の地図には黒門(代官門を移転)と裏口冠木門の表示があった。私が写真を撮った格子戸の近くが昔の裏口に当たる。

※スレッド●滋賀県/八日市市民集まれ!●における2004年4月15日の書き込み

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買いだめに走る人達を見てオイルショックを回想する

2011年03月17日 | 日記
オイルショックの時に私はまだ青洟垂れ小僧だった。ゆえに当時の記憶はかなりぼんやりしているが、地獄耳の祖母がトイレットペーパーを買いにスーパーに走った後でブツクサ言っていたのだけは覚えている。後から考えれば根も葉もない噂に踊らされた話である。

当時を知らぬ若者が食料品など買い占めするのはまだ許せるにしても被災地から遠く離れたところにいる、いい年をした人間が私の祖母と同じ行為をするのは理解しがたい。物は十分にあるが流通に若干問題が生じているだけなのだ。長期的な被曝を避けるために生まれ故郷を離れた人達の方がよほど賢い。

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八日市新地のアカミチ(その3)

2011年03月16日 | 
旧八日市新地の範囲(※)は東近江市八日市本町7番から13番あたりになる。L字形の平屋スナック群を撮影した私の背後に以前は無縁仏を供養する石仏が並んでいた。

アトリエの横からのびるアカミチを更に北に進むと辻に出る。左手(手前)の旅館は貸座敷「清里楼」が赤線廃止後に転業したものと思われる。

※大正十年現在八日市新地遊廓地図(一九九一年四月一日 三露俊男作図)を参照

貸座敷「清里楼」が旅館に転業

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広島の放射線モニタリングポスト

2011年03月16日 | 日記
福島第一原発からの放射性物質飛散状況に過敏に反応してしまうのは広島県人の性であろう。昨日のニュースで広島市南区に放射線量を測定するモニタリングポストがあることを知った。今は非常事態ということで午前と午後の2回測定を行い文部科学省に報告しているようだ(数値は非公開)。

ちなみに数値は通常と変わりないと報じていたが、役所は何故一覧表を作って日本国民に見せないのだろうか。安全ならば出し惜しみする必要はないはずだが。ちょっとでも数値の上昇が見られた場合広島の人間が騒ぎ出すことを恐れているのかもしれない。

政権交代前には情報公開を謳っていた民主党が今では逆の方向に舵を切っている。これでは国民の不安は日増しに高まってしまう。汚染地からの大移動が始まり、大根役者への非難の声が強まるであろう。

※文部科学省はようやく3月18日(金)から全国のデータを公開した。やはり遅過ぎた感は否めない。

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八日市新地のアカミチ(その2)

2011年03月15日 | 
旧「浜屋」の右隣がスナックで東に歩いて行くとどん突きとなる。「アトリエ(旧寿司元楼)」の角を左折して北上する。

廃業したと思われる味道園

路地右手には廃業したと思われる料理屋(平乃屋跡地)があり、先にはスナックが軒を連ねている。そして左手の古い建物が「角正楼」にあたる。

貸座敷「角正楼」

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東京都知事選が気になる一日本国民 

2011年03月15日 | 日記
松沢成文さんが東京都知事選出馬を断念したニュースには驚いた、石原都知事が4選を目指すと表明したのと同じくらいに。これだけ国がガタガタしてくると民衆はタカ派的な指導者を求めてくる傾向がある。今回がそうなるとは限らないが、石原さんが当選の可能性が高い人であることは間違いないだろう。

石原さんは帰化人に関する発言などで左翼思想にかぶれた者達(55~70歳)からひどく嫌われているが、隣国に対してビシバシ苦言を呈する姿勢を私は支持する。敗戦経験者とゲバ棒を振り回して遊んだ人達とでは全然言葉の重みが違うことを私の世代は認識している。己の失敗を他人のせいにするような小者(我欲の強い豆腐滓)はこの乱世に必要ないのだ。

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八日市新地のアカミチ(その1)

2011年03月14日 | 
八日市新地は延命新地の別名を持つ。延命山(延命公園)の東に位置することから名づけられたのだろう。

遊廓(赤線)跡には二人連れがやっと歩行できる程度の狭い路地がめぐらされている。これを遊廓関係者は「ヨコミチ」と言っていたらしい。

貸座敷「浜屋」

延命湯と美容室との間をアカミチがほぼ東にのびている。両脇には当時の建物が原型を留めていた。左手(北側)が「浜屋」、右手(南側)が「浅船楼」である。

呉服小間物屋「浅船楼」

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情報統制は逆に不信を招く

2011年03月14日 | 暗黒の無政府時代
パニックを抑えるために情報統制が必要という意見もあるが、今回の福島原発のトラブルに関して言えば逆効果である。東京電力の会見を聞いていると情報を小出ししているようにしか思えない。国民の間には「何か隠しているぞ」という疑念が沸き起こるのである。

福島県周辺の放射線量を定期的に測定して国民に示すのが並みの企業・行政・メディアの仕事だろう。アメリカやロシアも日本から発せられる情報を鵜呑みにしていない。自前で情報収集しようと人員を派遣してくるほど危機管理意識が強い。

これに対して我が国の政府のやっていることは極めてお粗末といえることだけは確かだ。

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福島原発第一原発で3号機も爆発

2011年03月14日 | 日記
福島原発で1号機に続いて3号機が水素爆発した。そして2号機も冷却機能喪失と報道された。原発付近で暮らす福島県民の不安はいかほどであろうか。

「安全なレベルだ」と言われた人にしてみれば「だったらそう言うお前がここに来てみろ」と言いたいはずだ。遠く離れた広島県民としてお気の毒で掛ける言葉がない。情報規制を行う政府と東京電力の責任は後で必ず厳しく追求されると思う。

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関東地方で(無)計画停電を実施予定

2011年03月14日 | 日記
昨年の9月半ばに2時間20分の停電を経験した。何かの工事とやらで電力会社から予め通知されていたので文句の言いようもない。

日記を見るとこの日の最高気温は35度。おそらく蛍光灯が点いた正午前には30度を超えていたものと思われる。首にタオルを巻いた家族が「まだか、まだか」と言っていたのが頭に残っている。僅か数時間とは言えども電気のない生活は苦痛だった。

さて、関東では今日から計画停電が実施される模様(結局予定がコロコロ変わり都民は振り回された)。主たる電力供給源である原発が何基も停止すると国が機能不全に陥る現実を西日本で暮らす私も直視せざるを得ない。脱原発の難しさを国民はこれから知ることになる。

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延命湯(東近江市八日市本町の銭湯)

2011年03月13日 | 
清水川は武佐方面(西)に流れ蛇砂川と合流する。かつては清水川のすぐ北側を筏川が流れていた。清水橋北詰に建つ銭湯「延命湯」。銭湯のホームページを見ると昭和7(1932)年創業と書かれている。

路地を挟んで銭湯の奥にあたる美容室の位置に遊女が利用した一銭菓子屋があった。私は路地に足を踏み入れた。

美容室から銭湯の背後を望む

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清水橋たもとの高札(東近江市)

2011年03月13日 | 
清水神社参拝を終えた私は側道を北上した。清水(しゅうず)川には清水橋が架かり、たもとには高札が立っている。川奉行が住民に対して川を掃除して綺麗にするように命じた内容である。

八日市清水1丁目から橋を渡ると町名が八日市本町に変わる。前方右手に高い煙突を確認した私は色街に着いたことを悟った。

清水橋南詰付近

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東近江市八日市清水を流れる筏川

2011年03月12日 | 
八風街道沿いには八日市中央商店街と書かれた街灯が並んでいる。鮮魚店の隣に常夜灯(大峯山、村中安全の銘)を見つけて裏側に回ると小川が流れていた。傍に「ごみは絶対に捨てないで下さい」との注意書きがあった。

筏川

これが筏(いかだ)川で「狛の長者(渡来人)」が蒲生野に水を引くために開削したという伝説は有名だ。筏川のすぐ北側には清水神社が鎮座していた。

東近江市八日市清水1丁目の清水神社

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東北地方太平洋沖地震による甚大な被害

2011年03月12日 | 日記
東北・関東を襲った大地震のニュースを見た私は絶句した。津波のスピードと破壊力、倒壊し原形をとどめない建物、広がる火災。被災した方々には心からお見舞い申し上げると同時に天災犠牲者のご冥福を祈る。

今朝北関東の友人に電話を入れて無事を確認した。彼は過去経験したことのない大きな揺れだったと話した。停電は午前8時半まで続いたとのこと。昨日は酒をあおって早めに寝たと聞き私ならば同じことができただろうかとしばらく考えた。そして夕方福島第一原発で爆発があったと報じられた。まさに悪夢である。

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