旧制第六高等学校の跡地は岡山県立岡山朝日高校となっている。旧制岡山一中の流れを汲む名門校であり知名度では井上あさひさんよりも上かもしれない。
正門は国の登録有形文化財(第33‐0238号)である。内田百閒のエッセイ『六高土手』には六高道のことが詳しく描かれている。
私共の高等学校と云うのは岡山の第六高等学校であって、東山の山裾からその前面に掛けた敷地の上に建っている。正門の前に一本の真直い土手が通じている。土手のこっちの端は私の生まれた古京町の往来に合する。
六高が出来る時、町の家並の中から一軒だったか二軒だったかを取り潰し、その側から土を盛って土手を築いたのである。
町の往来を後ろにして土手を歩いて行けば突当りが六高の正門であるが、どの土手の半ばで右に折れると塔ノ山の墓山があり、奥市の墓地があり、もっと先へ行けば笹山の焼場がある。
だから六高土手はよく葬列の道になった。葬列と云うのは、その時分は葬式の会葬者が行列をつくって、どうかここからもうお引き取り下さいと云う挨拶を受ける留め場まで歩いて行ったのである。葬列が通り掛かると、だれの葬列だかわからなくても駆け出して見に行った。
『六稜回想』の5頁の写真・想い出の松並木は高校の本館から六高道を眺めたものだが、のどかな風景が広がっている(左手は農地だろう)。今では道の両脇は建物で埋め尽くされ時の流れをヒシヒシと感じた。
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正門は国の登録有形文化財(第33‐0238号)である。内田百閒のエッセイ『六高土手』には六高道のことが詳しく描かれている。
私共の高等学校と云うのは岡山の第六高等学校であって、東山の山裾からその前面に掛けた敷地の上に建っている。正門の前に一本の真直い土手が通じている。土手のこっちの端は私の生まれた古京町の往来に合する。
六高が出来る時、町の家並の中から一軒だったか二軒だったかを取り潰し、その側から土を盛って土手を築いたのである。
町の往来を後ろにして土手を歩いて行けば突当りが六高の正門であるが、どの土手の半ばで右に折れると塔ノ山の墓山があり、奥市の墓地があり、もっと先へ行けば笹山の焼場がある。
だから六高土手はよく葬列の道になった。葬列と云うのは、その時分は葬式の会葬者が行列をつくって、どうかここからもうお引き取り下さいと云う挨拶を受ける留め場まで歩いて行ったのである。葬列が通り掛かると、だれの葬列だかわからなくても駆け出して見に行った。
『六稜回想』の5頁の写真・想い出の松並木は高校の本館から六高道を眺めたものだが、のどかな風景が広がっている(左手は農地だろう)。今では道の両脇は建物で埋め尽くされ時の流れをヒシヒシと感じた。
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