寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岡山市中区古京町2丁目2・旧制第六高等学校正門

2015年01月26日 | 
旧制第六高等学校の跡地は岡山県立岡山朝日高校となっている。旧制岡山一中の流れを汲む名門校であり知名度では井上あさひさんよりも上かもしれない。

第六高等学校正門

登録有形文化財

正門は国の登録有形文化財(第33‐0238号)である。内田百閒のエッセイ『六高土手』には六高道のことが詳しく描かれている。

 私共の高等学校と云うのは岡山の第六高等学校であって、東山の山裾からその前面に掛けた敷地の上に建っている。正門の前に一本の真直い土手が通じている。土手のこっちの端は私の生まれた古京町の往来に合する。
 六高が出来る時、町の家並の中から一軒だったか二軒だったかを取り潰し、その側から土を盛って土手を築いたのである。
 町の往来を後ろにして土手を歩いて行けば突当りが六高の正門であるが、どの土手の半ばで右に折れると塔ノ山の墓山があり、奥市の墓地があり、もっと先へ行けば笹山の焼場がある。
 だから六高土手はよく葬列の道になった。葬列と云うのは、その時分は葬式の会葬者が行列をつくって、どうかここからもうお引き取り下さいと云う挨拶を受ける留め場まで歩いて行ったのである。葬列が通り掛かると、だれの葬列だかわからなくても駆け出して見に行った。

六稜回想

戦前の六高道

『六稜回想』の5頁の写真・想い出の松並木は高校の本館から六高道を眺めたものだが、のどかな風景が広がっている(左手は農地だろう)。今では道の両脇は建物で埋め尽くされ時の流れをヒシヒシと感じた。

現在の様子

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福山市入船町3丁目・ソシオ入船のマンションギャラリー公開開始

2015年01月26日 | 日記
平成27年1月24日(土曜)からマンションギャラリー(ソシオ入船)の公開が始まり、建物の周りには幟がいっぱい建っている。リーデンローズの橋からはマンション建設の様子がはっきりと分かる。

工事現場

工事現場2

どでかい建物が完成するとこの位置からはカプセルサウナなどは見えなくなる。高台よりも移動手段の楽な平地の開発が進むのは当然であり、人口減少を見据えた全国的な流れと捉えるべきだろう。

工事現場3

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福山市松浜町・リーデンローズの連絡橋より変わりゆく町並みを望む 

2015年01月25日 | 日記
リーデンローズの橋から港町の市立大学を望む。私が立つ場所の下から大学方面にかけてがかつての入江(福山港内港)で悪臭の凄まじさには閉口したものだった。

市立大学

そして橋の北側は日本化薬の広大な敷地だった。土壌汚染の問題で長くもめた末、跡地にポートプラザ(天満屋とイトーヨーカドー)が完成した。昨年秋には近くにエディオン福山本店が新築移転し、賑わいの場が更に拡大しつつある。国道2号線沿いの開発は実に目まぐるしい。

ポートプラザ日化

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福山市南本庄1丁目7・紅葉保育所の建て替え工事(途中経過)

2015年01月25日 | 日記
西町の隣、南本庄1丁目の紅葉保育所は現在建て替え工事中(※保育所は本庄東公園内に建てられたプレハブに仮移転)。1月上旬の段階で骨組は既に出来上がっていたので春辺りには予定通り春には完成しそうだ。

建て替え工事

最新の耐震構造を有する施設で自分の子どもを遊ばせ学ばせたいと考えるのが親の心情である。ましてや交通の便の良い場所に園児が集まるのは当然と言えよう。福山市中心部ではこの流れが当分続くと思われる。

建て替え工事2

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2月3日の節分はセブンイレブンで恵方巻

2015年01月25日 | 食材
予約申込書が裏に印刷されたチラシを見て「海老とスモークサーモンのサラダ巻(1本税込390円、長さ約8.5cm×幅約4.5cm)は旨そうだな」と思った。何品か買って自宅で切り分け家族とつまむのもよかろう。

恵方巻の種類

節分に巻き寿司を食べる風習が広島でも定着してきたような感じはする。日本人は本当にイベントの好きな民族だと思うが、国産海苔の消費拡大という面では貢献しているのだろう。

予約受付

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ごっつ臭いニンニクの醤油漬け 

2015年01月24日 | 食材
自家菜園のニンニクを処理するために作った醤油漬け。ほったらかしにしていたのを風邪薬として食べたところ、鼻が痛くなるほどの臭さで吸血鬼も音を上げそうである(笑)。好みの問題だが、私の体にはホイル焼きの方が合っている。

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岡山市中区古京町2丁目1・第六高等学校趾と刻まれた石柱

2015年01月24日 | 
相生橋のたもとから東側は緩やかな下りである。旧山陽道を横切り(信号機付き交差点の北側に手打ちうどんの玉泉が見える)国道250号の古京(三叉路)交差点へ向かう。

古京の交差点

内田百(本名:栄造)の生家・造り酒屋は現古京郵便局(古京町1丁目3‐8)の隣にあった。三叉路から歩道橋の横を通り北東へ約40m進むと向こう側の道端に「第六高等学校趾」と刻まれた石柱が建っている。

石柱

石柱裏


 第六高等学校が岡山市に出来たのは、明治三十二年か三年であったと思う。岡山は私の郷里であって、その頃私は高等小学校の一年生か二年生であった。当時の尋常小学校は四年制であったから、高等小学校の一二年と云うのは、今の尋常五六年に当たる事になる。
 子供の時の事なのでぼんやりした記憶しか残っていないが、前前から大変な騒ぎであった様に思われる。岡山市に上水道が敷かれたのも、近県の競争都市を押し退けて、岡山市が高等学校所在地となる為の必要な条件であったからである。
 今では何と云っているか知らないが、その当時から私が入学した後でも、岡山では六高の事を「第六」と呼んだので、おまけにそれが岡山地方の母音の流れる云い方で崩れるから、東京その他の地方から来た新入生はみんな初めは解らないので弱ったらしい。その「第六」が岡山じゅうにひろがり、どこでも「第六」の噂ばかりになった。
 私の家は古京町と云う町に在って、その町裏の田圃に六高が出来上がる事になったのである。大きな凧を揚げたり、七夕様の硯の露を取りに行ったり、田鮒を掬ったりした子供の時の遊び場所を潰して、そこに私の母校となった六高が建っている。

『六高以前 / 内田百』 

石柱が「六高道」の起点でかつては松並木を通り抜けた先が(旧制)六高の正門であった。下の絵葉書は六高道の終点辺りから六高の正門と本館を写したものである。

六高正門と本館

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塩分控えめの豆餅

2015年01月24日 | 家飯
近頃の豆餅は昔と比べると塩分含量が少ない。包装技術の発達でカビが生えにくくなったこともあるのだろうが、餅本来の味がはっきりと分かるのがいい。こんがり焼いた香ばしい餅には番茶がよく合う。

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病み上がりに飲むかりん酒

2015年01月23日 | 家飯
うがい薬の使用で喉の痛みはほぼ無くなった。酒を数日控えたのも良かったようである。復調の兆しが見えてきたので今日はかりん酒を少し飲むことにした。何年熟成させたのかもう忘れてしまったが、滓(おり)が出ているので5年以上だろう。アルコール分が適度に飛んでまったりとした口当たりである。風邪を治すには栄養補給と睡眠の二つが重要だ。

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福山市西公民館の移転新築工事(途中経過)

2015年01月23日 | 日記
福山市は聴覚障害者地域活動支援センター(西町1丁目19‐2)の隣に新しい西公民館を建造中。大まかな姿が出来上がり敷地の外周をコンクリートで固めようとしている感じだった。

工事現場

土木作業員に詳しい話を聞こうとしたら外国人で「私には分かりません。ごめんなさい」と言われた。現場は旧西公民館(西町1丁目26‐6)から北北東約80mの場所である。

旧公民館

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独立行政法人国立病院機構福山医療センターの建て替え工事

2015年01月22日 | 日記
独立行政法人国立病院機構福山医療センター(福山市沖野上町4丁目14‐17)の西側で現在建て替え工事が行なわれている。長い名称に変わったのは平成16年(2004)で以前は古い門柱の表示の「國立福山病院」と呼ばれていた。

建て替え工事

國立福山病院の前身は明治期に開設された福山衛戍病院で昭和41年(1966)に現在地に移転した。工事現場入口の斜向かいに位置する和菓子屋「三河屋」も元々は本通で営業していた(戦前の創業)。このように過去と現在はちゃんとつながっている。現存する建物だけを見て「我が街には何もない」と言う人間は四流新聞のク○記事を鵜呑みにする愚者である。歴史は自分の足で調べるから面白いし為になるのだ。

和菓子屋

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岡山市の旭川に架かる相生橋の歴史

2015年01月22日 | 
冒頭の画像は『六稜回想(六高創立七十五年記念展 昭和五十年十一月)』の64頁に掲載された写真で、マントを羽織った六高生が相生橋の東詰からお城の方を眺めているものと思われる。旧制六高(第六高等中学校)の開校は明治33年(1900)3月。

六稜回想(六高創立七十五年記念展 昭和五十年十一月)

内田百のエッセイ「荒手」には相生橋が旭川に架かる前後の様子が描かれており興味深いので一部引用しておこう。

 古京町から内山下の方へ行くには相生橋を渡るのであるが子供の時分に相生橋はまだ架かっていなかった。古京の町筋の西裏を包む様に土手があって、その下はから川である。大水の時には後楽園の土手の石畳の所から水が上がって御後園裏一帯に流れ、大川の水勢をそぐ様にしてあったらしい。その水が古京裏のから川を通って中屋敷の磧のある川幅の広い所でまた大川に合流する。水位が高くなれば町裏の土手もあぶなくなって、どこそこが切れそうだと云うと町内総出で土手の補強をした昔の騒ぎを覚えている。

 から川の向うが荒手の藪である。後になって荒手の藪の真中から向う岸へ相生橋が架かったが、相生橋の外にもう一つ荒手の東側から古京の西裏へ、そのから川を跨がって架かった龍見橋がある。龍見橋がいつ頃が出来たか思い出せないけれど、あやふやな記憶の中の順序では相生橋よりも前からあったのではないかと云う気がする。

初代の(木造)相生橋は池田家の出資で建設が始まり明治37年4月22日に竣成開通し、昭和9年の室戸台風による大水で流失した。よって白黒写真は内田が渡ったものではなく昭和13年に再建された橋だろう。

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人気の笠岡市漁協朝市(毎週火曜日限定の外浦朝市)

2015年01月22日 | 日記
福山人は笠岡諸島産の魚介類をよく食べる。安くて美味しいものは当然福山市内のスーパーに並ぶし、味覚が確かで腕に自信のある者は(沼隈よりもむしろ)お隣の市へ買い出しに行く。岡山県笠岡市神島外浦(こうのしまそとうら)の笠岡市漁協朝市には福山からもかなりの人間が集まっているものと思われる。ワタリガニ(ガザミ)などはやはり実際に見て購入したいからだ。毎週1日限定、火曜日の午前9時~10時開催というのも戦略であろう。

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熱量豊富なミートソーススパゲッティ

2015年01月22日 | 家飯
普段はペペロンチーノ系を好んで食べている私だが、寒い冬(特にバテ気味の時)にはミートソースのスパゲッティーが欲しくなる。ソースはレトルトなどの既製品ではなく自家製。小分けして冷凍しておいたものを使うから非常に楽である。パターと粉チーズを追加してよく和えて濃厚な味わいにする。腹持ちのよいパスタは栄養補給には最高である。

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天満屋ハピータウンみどり町店跡地にハローズを核とする商業施設を建設

2015年01月21日 | 日記
福山市緑町の天満屋ハピータウンみどり町店が昨年末までに取り壊され現在も敷地は仮設塀で取り込まれている。跡地にはハローズが進出するという噂が以前から出ていたが、本決まりになったことが『経済リポート 2015年(平成27年)1月10日 1506号』で発表された。

 昨年5月25日に閉店した「天満屋ハピータウンみどり町店」(福山市緑町1‐51)の跡地(敷地約2万2400㎡)に、24時間営業の地場大手スーパー㈱ハローズ(本社=同市南蔵王町6‐26‐7、本部=都窪郡早島町早島3270‐1、佐藤利行社長、本部電086・483・1011)を核とする複合商業施設「みどり町モール」が8月中旬、オープンすることが決まった。
(中略)
 施設はA棟(鉄骨造平屋建て一部2階建て、延べ床面積1万1337㎡)と、B棟(鉄骨造平屋建て594㎡)の2棟(合計1万1931㎡)に分かれ、駐車場はA棟北側に256台、A棟屋上111台の計376台の予定。
 A棟にはハローズ他9店舗(食品1、物販6、飲食・サービス2)が入る予定、B棟は2店舗(物販1、飲食・サービス1)の見込み。飲食・サービスを除く立地法に基づく売り場面積は7804㎡でハローズが2269㎡を占める。
 天満屋ハピータウンみどり町店の解体撤去工事が完了次第2月頃、着工する見込み。

今年の夏から仁義なき戦いが緑町で始まるということだ。選択の幅が広がるのは市民として大歓迎。さて勝者はどこになるのやら…。

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