予報どおりの降雨で朝から手持ち無沙汰。日帰り温泉の気分でも無いから、兄が送ってくれた「紫蘇の実」で佃煮を作ることにした。欲を言えば「味噌漬け」にして食したいのだが、味噌ダルなど当に無くなった近代生活では無理な要求でもある。少量なら袋に入れて味噌で挟むことも可能だが、こういうのは少量では美味しくない。
シソの実200グラム、だし汁3カップ、醤油大匙12、味醂大匙3、酒大匙3を準備した。
シソの実は熱湯でさっと茹でて、水に取り水気を切り、鍋に全てを入れて弱火で煮詰めること30分、ようやく完成した。味噌漬けとは異なるが、ぶちぶちした歯ごたえは健在だ。
頂いたシソの見は熟し始めていて、洗っているときに黒い種子が流れ出てきたから、口当たりを懸念したのだが出来上がりは上出来だった。コシヒカリの新米を炊いて、熱々のご飯にたっぷり載せて頂くのは、それだけでも幸せ感がある。あわせてキュウリの古漬けをかじれば言うことなしだが、こんな献立では厚労省からクレームが付きそうだ。
栄養学はさておいて、食の美味しさは星の数や価格、はてまた素材の品質や数量で決まるわけではないのを実感するのが伝統食だ。