トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

また会う日まで

2011-05-17 | 感じるままの回り道

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 いよいよヒキガエルの子供達が池から離れていく。水際に群れているのは僅かな数になってきた。地面に展開したベビー達を見るともなく見ていると、パラパラ漫画をゆっくり見ているようなパラッ、パラッと言う感じで黒い点が動いていく。結構、新鮮な情景だ。

 陸に上がってしまえば、独り立ちならぬ一匹立ちしなければならない宿命を背負った種であるけれど、その分を水中時代には密集した群れで生活していた事で「プラス・マイナスかなあ」と思った旅立ちの遭遇だった。

 そう思うと、まだ水際で「おしくらまんじゅう」している一団も、名残りを惜しんでいるように見えてくる。それはそうだろう、数年後に戻って子孫を残せるのは数匹かもしれない弱肉強食、生存競争の真っ只中に飛び込むのだから。

しかし、人間からみれば四苦八苦とでもいえる過酷な前途で、喰うか食われるかの世界でも、そこには憎しみも哀しみも無い、ただ生きるために互いが喰らう、命のやり取りだけなのだろう。そして互いが命をつなげて行く。この幼くて小さい身体に、それを背負っているかと思うと凄いなあと思うのだ。


余す事無く

2011-05-17 | 水辺環境の保全

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 越境行為になるから勢力範囲のボランティア代表の了解を取って、浸食溝に土嚢を積ませてもらった。ここは丸太ダムを作った棚田跡と同じ面なのだが、従前からボランティア代表が手入れしている水溜まりから漏水して、僅かな水が来る場所だ。

 丸太ダムを作った時、ここへの流下を閉じて、ダムへ小溝を通し流していたのだが、危機管理と言うと大袈裟になるけれど、小分けした水辺を配置した方が良い様に思えて、復活させることにしたのだ。

 腰の辺りまで伸びた草を刈り露出させてから下手に土嚢を積んだ。水辺に寄り易いように周囲を一段掘り下げて散策路モドキに仕上げてお仕舞い。注ぐ水量が細いから満杯になるかどうかは心もとないけれど、数センチでも貯水できれば万歳である。