流路を矯正した丸太は一本づつだったが、渡るに不安定で、結局、伐りだして二本並びにした。
両端に杭も打ち固定もしたから、渡っても不安定さは無くなった。ここは通路として使う部分ではないが、観察や手入れに使えるし、水に入らなくて済む。
年少の子ども達にとっては、堤の平坦地と比較すると、多少は勇気が必要で冒険心を満たす設えになり魅力が増すが、環境維持の立場としては、大人や子どもに限らず多くが寄りついては欲しくないのだ。
何よりも環境負荷が増加するし、荒れる速度が速くなる。月に一回でも狭い水辺に30~40人も立ち入ると、これは自然の回復力を超えてしまう。先日も、一行が来襲し、一部の子だがビニール袋に上陸するやしないやのヒキガエルの子をいれて持ち帰ろうとしていた。昭和の時代ならともかく、生息数も環境も貧弱になった現在、捕獲をしてもリリースするのが礼儀というものであろう。これは大人が教えなければならないことでもある。
ボヤキは別にして、作業は三枚の泥水地の中に竹を数本づつ打ち立てて終了する。これはトンボのお休み処なのだが、早い話、写真を撮りやすくする仕掛けでもある。まあ、実態は小生も自分本位の日々なのである。
毎年、芽生えてくる庭のウマノスズクサに今年もジャコウアゲハが産卵した。今朝覗いたら、既に孵化していて卵の殻は食べたのだろうか、半分は無くなっている。葉にはまだ食痕が見えないから、きっと新生児の初乳のような役割りを卵殻がはたしているのだろうと推測した。
少年時代、実家で農耕牛やヤギの出産を間近で見ていたが、後産の胎盤を親牛やヤギが食べるのを見て驚いた記憶がある。後年、これは捕食動物を避けたり、母体の回復に動物性蛋白質を補給する意味がある事を知ったが、無駄が無いものだ。
ジャコウアゲハの卵は1mmほどで、幼虫は2mmほどに見える。この大きさの口では葉の厚みにかぶりつくのも大変だろうと、変な同情心が湧いた。幼虫は一晩経っても全く移動せず、同じ位置にいる。